「娘っ子?これは私の妻だ。」(おふくろ?かも)
自古英雄出少年 (1983) は長江の船着き場での緊迫した場面からはじまる。蜂起に失敗した反清団体の天地会残党が渡河脱出を試み、その中にいる会の総舵主の息子ともども捕えようと清兵が偽装して埋伏している。
激しい戦いが火を吹き、争闘のなかで物語の主要人物が点描されていく。規模の大きさと的確な描写と真功夫もあり、武侠映画でもなかなかお目にかかれない名場面だ。これには四川省武術隊や浙江省武術隊が参加している。
からくも逃れた総舵主の息子と天地会員の子供たちは、息子の友人の富紳の家に逃げこむ。「大丈夫」つまり夫と呼ばれる10才の友人は人小鬼大、生意気いたずらざかりで子守りをかねてあてがわれた20才の妻から逃げたくて天地会の逃避行に同行する。
戦前の中国では子供に、トンヤンシー童養媳と呼ばれた妻を与える風習があった。大地恩情で李賽鳳は大地主の家に妻として売られていたが、おそらく口減らしの童養媳だったのだろう。
その後も賞金稼ぎたちを頭にした清兵の追跡が続く。約束のネバーランドをめざした子供たちは、天地会の隠れ家の村にたどり着いた。ここもふくめてまだ観光地として整備される前の四川省九寨溝が、ロケ地としてあちこち登場する。
しかし一行が到着したときには、先回りした追手に村人は皆殺しにされていた。
子供たちも襲われ、それなりの遣い手であってもやはり大人にはかなわない。
あわやというときに、功夫高手である小媳婦の張小燕が登場し危難を救う。
冒頭の画面は悪党に「男が娘っ子に泣きつくのか。」とあざけられ、大丈夫が「これは私の妻だ。」と切り返すところだ。
この作品は校庭で上映するような功夫児童映画なので、ここで昔のよい子たちは大爆笑しただろう。
年上妻の腕前はほんもので、剣には剣、敵の虎拳に対しては蛇拳でわたりあう。
小媳婦の張小燕は全能冠軍で、変態技にも切れ味がある。
危地を脱した子供たちは小媳婦とはぐれてしまい、四川と青蔵の境をさまよいチベット族の遊牧民に助けられる。後を追ってきた清兵たちは襲撃してくるが、遊牧民たちはヤク旄牛の大群をあやつってこれを蹴散らす。ここらへんは木棉袈裟と同じ展開だ。
この氷の滝も九寨溝。
遊牧民に別れを告げ雪山に踏み込んだ子供たちは、今度こそ雪に隠れた追手に捕らえられてしまう。天地会と合流した小媳婦は奪還に向かい、最後の決戦の火蓋がきられる。
天地会少女の徐美玲は、中央戯曲学院を卒業して長く俳優活動をつづけた。すばらしいバネだ。
大丈夫の郝勇は雑技団出身。ビビリで功夫はできないが、身軽で仲間の危難をなんども救う。大人ぶって現在的女人真不得了啊!いまどきの女性はすごい!と嘆息をもらしたり、作品の喜劇味を一手に引き受けている。
製作も金庸がもっとも好んだといわれる香港女優の夏夢が、自分の会社を通じて実現した。
実際問題として、少林寺以来の成功した大陸功夫映画は香港の監督の手によるものだ。では香港映画になるかというと、演者と風光のかもしだす空気は中国映画に他ならない。褪色してはいるがフィルムの色調も、張芸謀登場以前の青磁のような中国独特の色合いで好ましい。畳みかけるような緊迫した展開は、香港映画でもあまりないものだ。
水車小屋はまだある。
19分要約片