パーキスターン映画盛衰史(7) 80年代

スルターン・ラーヒー

 

 

1980年代は、スルターン・ラーヒーのものだったといってもいいだろう。

 

むかしから農村抗争映画やジャット族映画はあったが、1979年のマウラー・ジャットが画期となった。

それはスルターンに色悪ともいえるムスタファー・クレイシーを配することで、強者の魅力と対立構造が鮮明になったからだった。抗争の社会的背景は不要となり、ゲーム感覚の無限に生産できる鋳型ができあがった。

 

 

81年の Sher Khan、Sala Sahib 、Chann Veryam はどれもスルターン映画で、同日に封切られ前二者がブロックバスター、後者がスーパーヒットとなった。いかに当時はスルターン映画が熱狂的に迎えられたかがわかる。

 

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1980年代には841本の映画が作られた。60年代は713本で70年代は1019本だったから、成長に歯止めがかかったといえる。

 

このなかでは、スルターン・ラーヒー出演作がスーパーヒットのほとんどを占めていた。

Behram Daku (1980 パンジャービー) Jatt in London (1981 パンジャービー) Anokha Daaj (1981 パンジャービー) Sher Medan Da (1981 パンジャービー) Athra Puttar (1981 パンジャービー) Milay Ga Zulm Da Badla (1981 パンジャービー) Baghi Sher (1983 パンジャービー) Rustam Tay Khan (1983 パンジャービー) Qismat (1985 パンジャービー) 

 

これはヒロインが弱い(踊れない)作品のみを抜き出したもので、以下のアンジュマン、ムムターズ、ナーディラー、ニーリーを指標にしたスーパーヒットもほぼスルターンがらみだ。

ただスルターンが脇役のヒロイン主導映画もある。南アジアでは男のアクション場面はファンタジーで、技術をもって映画のアクションを担っているのは女だ。だがヒロインが歌って踊っているだけでは問題が解決しないので、最後は男が暴力で話にカタをつける。その締めがスルターンの役割の作品もあるということだ。

PFM記事

 

 

アンジュマン

 

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Sher Khan ではヒーローが危地に立っていると、アンジュマンが機知と踊りで救出する。

 

Sher Khan (1981 パンジャービー) Jeedar (1981 パンジャービー) Chann Veryam (1981 パンジャービー) Veryam (1981 パンジャービー) 2 Bhiga Zamin (1982 パンジャービー) Sahib Ji (1983 パンジャービー) Lawaris (1983 パンジャービー) Dara Baloch (1983 パンジャービー) Sholay (1984 パンジャービー) Dhee Rani (1985 パンジャービー) Ajab Khan (1985 パンジャービー) Jagga (1985 パンジャービー) Qaidi (1986 パンジャービー) Qeemat (1986 パンジャービー) Malanga (1986 パンジャービー) Dulari (1987 パンジャービー) Allah Rakha (1987 パンジャービー) Roti (1988 パンジャービー) Super Girl (1989 パンジャービー) Kalka (1989 パンジャービー) 

 

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Malanga ではアンジュマン、スルターン、ムスタファー・クレイシーが最後に殴りこみをかける。

アンジュマンとスルターンが殴りあう作品もあるし、その地位は独特のものだ。ひとえに体格と踊りの上手さからきているが、パーキスターン映画の踊り子として搭載しているエンジンやトルクが別格だった。

 

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 Bilawal (1986) では、ヌスラト・ファテー・アリー・ハーンの mera piya ghar aya で敵のアジトに突入する。

 

 

ムムターズ

 

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Raka (1983) では最初は悪の側だが、最後はスルターンの脇に立っている。

 

Sala Sahib (1980 パンジャービー) Sohra Tay Jawai (1980 パンジャービー) Raka (1983 パンジャービー) Murad Khan (1983 パンジャービー)  Kalia (1984 パンジャービー) Sangal (1987 パンジャービー) 

 

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Murad Khan では、一件がおわったあと駆けつけるタワーイフ。

 

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Kalia でNazli と踊りを競う。スルターンの恋人役。

 

 

ナーディラー

 

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Nachay Nagin は蛇映画でスルターンはゲスト。問題はナーディラーが解決する。

 

Baadal (1987 パンジャービー) Nachay Nagin (1987 パンジャービー) Mafroor (1988 パンジャービー) Mujrim (1989 パンジャービー)

 

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Mafroor ではスルターンが逃亡者で、ナーディラーは警察官の恋人。

 

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同上。

踊り上手の逸材だったが、若死にしてしまった。

PFM記事

 

 

ニーリー

 

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Aakhri Jang やせた新型ヒロイン。

 

Aakhri Jang (1986 パンジャービー) Maula Bakhsh (1988 パンジャービー) Haseena 420 (1988 ウルドゥ) 

 

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ウルドゥ映画

 

1979年ラーニー主演の Aurat Raji はウルドゥ映画の諷刺ドラマで、女が政権を握り男は女装を強いられ男女逆転の社会となる。スルターンまで珍奇な女姿で登場する。ただこれはNHK大奥みたいなもので、役割がかわり男社会が女社会になっただけで女は男の声で吹き替えられている。反逆する男たちは武装反撃に出るものの、女軍は正義の男たち(スルターンもふくむ)の助勢もあってこれに打ち勝つという話だった。

興行は平凡だったとはいえ、作品は後年のパンジャービー映画の強いヒロイン像を先取りしたものだったともいえる。

ウルドゥ映画は80年代初まではこのように抵抗をつづけたが、じょじょにスーパーヒットを生み出せなくなっていった。

 

パンジャービー映画がエロと暴力とすれば、ウルドゥ映画は愛と家族だ。意味する対象としてはおなじことでも、舞台と語り口はずいぶんとちがっていた。ウルドゥ映画愛好家はパンジャービー映画を無教養無教育と軽蔑したが、製作地製作者はラーホールで変わりはなかった。

 

シャブナム

 

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Hum Dono 踊れる人ではないが、コメディーができる。おなじ東パーキスターン出身の Nadeem との共演が人気だった。

 

Bandish (1980) Ham Dono (1980) Nahin Abhi Nahin (1980) Qurbani (1981) Naseeb (1982) Dehleez (1983)

80年代出演作すべてウルドゥ映画のスーパーヒットとなった。だがそれも1983年でとぎれるのは、バーブラ・シャリーフと同様だ。

 

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踊らないからこの人の真価はなかなかわからないけれども、1977年の Aaina を見るとみごとに青春している。そこから歳月とひねりのあるメロドラマになるので、どちらもこなせる演技力があったのだろう。

 

 

バーブラ・シャリーフ

 

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Sangdilの一場面 小柄で日本でも人気が出ただろう。

 

Saima (1980 ウルドゥ) Manzil (1981 ウルドゥ) Lajawab (1981 ウルドゥ) Sangdil (1982 ウルドゥ) Tina (1983 ウルドゥ)

 

パーキスターン初のSF映画 Shani (1989 ウルドゥ) に主演して、ヒットしている。未知との遭遇や2001年に影響をうけた光学合成特撮はわるくない。話そのものはバーブラの亡き夫の身代わりとなった宇宙人が、女性人身売買組織とたたかうパンジャービーふうなものだ。

 

 

パシュトー映画

 

Amail (1984 パシュトー)がスーパーヒットとなった。

 

70年代の58本から80年代は214本へと飛躍した。製作地はラーホールだったが作品の質は低かった。ただ歌と音楽(踊り手は Imrozia)はパシュトーならではの風格があり、大都市に出稼ぎにきたパシュトゥーン労働者を観客とした。

 

ムッサラート・シャーヒーン

パシュトー映画の悪名高いヒロインで、お下品なダンスで名を馳せた。

 

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Ghazab (1981)

 

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Paristan (1989)

 

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作品名不明。パシュトー映画はソフトポルノ呼ばわりされることもある。

 

 

1977年から88年まではクーデター政権によるイスラーム化の時代といえる。ただそれが一般社会、ことに映画界にあたえた影響は単線的なものではない。支配階級の権力争いに用いられた表面的なイデオロギー闘争だった面もある。シーア派のウルスに対し厳格主義者が「これはヒンドゥーだ」と非難するくらい、パーキスターンのイスラームは独特だ。

ただ労働者や女性の地位権利は確実に低下した。また諷刺や含蓄に富んだウルドゥ映画も姿を消した。都市階級闘争の抑圧がクーデターの目的だったのだから、当然の帰結ともいえる。

 

映画の中では飲酒や腐敗堕落は悪人たちに属するもので、正義の側はおおぴらに復讐の暴力をふるい文句のつけにくい両義的な意味合いをもっていた。ラーホール映画界はわいろなどの手段で腐敗した権力の検閲をまぬかれていたともいわれる。

1979年のマウラー・ジャットははじめて人体切断を描き、さすがに軍事政権も禁止令を出した。しかしそれはすでにブロックバスターとなり、ほぼ公開がおわるころのことだった。

エログロナンセンスへの誘導による愚民化は支配階級の利益にかなうものだったろうが、それはイスラーム化の建前とは異なるものだった。

 

ジアウルハック将軍は実はインド映画の大ファンだったとの記事もあったが、裏付け確認はできていない。