ニーローについては記事が分散しているし、リンク切れも多いので整理したい。
ニーローには古典の基礎があるようだが、所作に独特のクセがある。踊り心があり陶酔感を表現することができる。
出身地パンジャーブ州ベーラBheraは古い小さな都市で、時代に取り残された街とも呼ばれる。カトリックとしてどこで踊りの素養を身につけたのか。英国映画にどうやって出演することになったのか。ガッツをどうやって育んだのか。知りたいことは山ほどあるが、記事は少なく謎のままだ。
Saath Lakh (1957 ウルドゥ)
映画初出演は Bhowani Junction (1956 英)だがチョイ役で、上の作品の踊りで初めて注目をあびた。
Koel (1959 ウルドゥ)
ヌールジャハーン主演映画。
同上。ヌールジャハーンから夫を奪う。
Nagin (1959 ウルドゥ)
初主演で出世作の蛇映画。水浴場面(10分50秒から。高画質だとちゃんと履いていた。)、広場舞(20分55秒から)、蛇踊(47分15秒から)、大詰め(1時間14分18秒から)
Neend (1959 ウルドゥ)
ヌールジャハーン最後の出演作で妹役。
Azra (1962 ウルドゥ)
ニーローは王女役。
Banjaran (1962 ウルドゥ)
南アジア初のヘソ出し映画。
同上。都会に出てきた漂泊民Banjaranの娘が寂寥感を歌う。
Dosheeza (1962 ウルドゥ)
ニーローは人間に化けた塑像。
同上。エミー・ミンワーラーと競演。
Ghunghat (1962 ウルドゥ)
拳銃をもった踊り(40分34秒から)、(1時間40分58秒から踊り)
Daaman (1963 ウルドゥ)
ニーローは、サビーハから夫を奪う踊り子。
同上。サビーハとニーローの演技対決。
Ishq Par Zor Nahin (1963 ウルドゥ)
踊り子として助演。
同上。賭けに勝ってムジュラーを踊る。
Mauji Mera (1963 パンジャービー)
弱男を翻弄する田舎娘。
Beti (1964 ウルドゥ)
産んだ子を誘拐される女優。
Laado (1966 パンジャービー)
農村の結婚話。
Paristan (1968 ウルドゥ)
モハンマド・アリー共演の古装劇。
Aukha Jatt (1969 パンジャービー)
アンジュマンらの元気踊りの原型が見られる。
Zarqa (1969 ウルドゥ)
アラブの踊り子ザルカーは、パレスティナ解放闘争に加わる。
同上。自由の炎を燃やせと訴える。
同上。鎖につながれても踊り子は踊れると歌う。
Zarqaの完成大ヒット後に結婚引退したが、数年で夫のリアーズ・シャーヒド は病死し家計と子育てのため74年復帰した。ただ出演は出身地のパンジャーブで、農村を舞台にした暴力とエロのパンジャービー映画が活動舞台となった。
Khatarnak (1974)
復帰第一作で主演女優賞を獲得した。作品は若い踊り子へのどぎついカメラワークで物議をかもした。ニーローは典型的パンジャービーダンスを演じている。
Sultana Daku (1975)
20世紀初の実在したダコイトを反英レジスタンスの人物として描いている。
同上。
Athra (1975)
ヴェテランのユースフ・ハーンが弱男を演じている。
Pindi Wal (1976)
スルターン・ラーヒー主演。この映画は歌詞が下品なので、レンタルショップでは人目をはばかる人気商品だった。パンジャービー映画は賄賂で検閲を乗り切っていたという。
ニーローは77年クーデター後も80年代初まで現役で活動をつづけた。