パーキスターン映画館の90年代

1998年のブロックバスター Choorian (パンジャービー) サーイマとナルギース共演

 

スーパーヒットとかブロックバスターとかは「全パーキスターンが泣いた」式の

興行のうたい文句のようなもので、客観的に定義できるようなものではない。日本でもどんなに映画がコケても「大ヒット中」と宣伝される。

それでも80年代まではなんらかの目安になったが、90年代となるとそれもあやしいのは肝心の映画館そのものが減少しているからだ。70年代と90年代ではスーパーの意味合いはおなじではない。

 

パーキスターンの映画館数については、信頼できる数字に行き当たらない。ゆいいつACADEMIC.COMのCinema of Pakistan記事に表があったけれども、出典はあきらかでない。

しかしこれを手がかりに1995年と2002年を比較してみると、ラーホールをふくむパンジャーブ州は341館から275館に、カラーチーのあるスィンド州は165館から89館に減っている。

 

これも出所はあきらかでないが最盛期は全巴で1000から1200館、ラーホール450館、カラーチー350館との見積もりもあった。それが2002年にラーホール市は56館、カラーチーは43館となっている。全パーキスターンでは1995年562館、2002年417館だ。

パーキスターンにシネコンが登場するのは今世紀になってからだから、館数はスクリーン数とおなじになる。

 

前世紀末までに半減したことになる。これから推定すると、80年代にすでに7割と凋落傾向がはじまっていたのだろう。パンジャービー映画の隆盛と裏腹に、ウルドゥ映画圏が劇的に衰退したと思われる。