ラーニーとサビーハ・ハーナム
パーキスターン映画歌謡のなかで、異様な迫力で気になっていたのが aa dekh mohenjo daro mein
これはサーダト・ハサン・マントー سعادت حسن منٹو の短編小説 Mummy を原作としていた。マントーの生涯は2018年に映画化され日本でも上映された。作家は1912年生で55年に亡くなっているが、映画も小説も未見だ。
Mummyはmommyのなまりで、娼館をいとなむアングロ・インディアンの女性とその周辺を描いている。マミーを
ところが実際は映画の主人公はラーニーでなくてサビーハのほうで、娘のラーニーも娼婦として働かせている太いママだった。パチンコで鳥を打ち落としていたパンジャービー娘は、中年になると関西のおばちゃんか関東の平野レミみたいになっていた。ラーニーがいつものかわいそうなタワーイフだとしたら、サビーハはとにかく前に前に進んで運命をはねかえしていく役どころだ。
マントーの小説pdfからは客をひっぱたきもするが娼婦には優しいマミーの人物像pdfをかりただけで、ラーニーが運命に翻弄されるメロドラマとはいえる。ところがサビーハが強烈だった。警察も手なづけるしたたかな人物でありながらいつも祭壇に祈る信心深いクリスチャンで、口からはタバコの煙と英語の文句を吐き出し登場すると場を支配してしまう。当時大ヒットしたのもタシケント映画祭で受賞したのも、平凡なメロドラマにもうひと味きかせたサビーハのスパイスがあったからだ。
あらすじ
しかしアリーはすべてを知ったうえでラーニーを受け入れ、結婚して自分の屋敷に連れていく。そこには妹夫婦とその息子がいっしょに暮していた。アリーの父も義弟も上級宴会の客でラーニーの正体を知っていたが、話は都合よくころがり二人は幸福な生活を開始する。
ところがここにひねりが加わる。アリーの出張中に義弟はラーニーに暴行をはたらき、帰ってきたアリーは真実を知らぬまま異状をきたしたラーニーを屋敷から追放してしまう。ラーニーは出産とともに亡くなり、激高したままのアリーは発作をおこし盲目になってしまう。
そして十数年後、サビーハに育てられラーニーそっくりに育った娘ラーニーは、妹夫婦の息子と高校の同級生で恋仲になっていた。息子のシャーヒド(ウムラーオ・ジャーン・アダーではナワーブ役)は、事情も知らずアリーにラーニーを紹介する。すっかり好々爺になっていたアリーは、ラーニーを「実の娘のようにかわいがる」。
ここでまた運命はもう一度ひねられ、手術を受けたアリーは視力を回復する。最初に目にしたのはラーニーそっくりなラーニーだった!また怒りの沸騰点の低い人物に逆戻りしたアリーは、シャーヒドとの仲など認めるはずもなくラーニーを追い出してしまう。ここで毒でも飲めばいつものラーニー映画だが、この作品にはサビーハ・ハーナムのマミーがいた。沸点がさらに低いサビーハは、ラーニーから話を聞いて激怒し屋敷にのりこむ。そこには諸悪の根源の義弟もいた。サビーハの大暴れののち、大団円では
身毒秘宝館(5)でパーキスターン映画で最初にタバコをすったのは90年代女優の Neeli だと書いたが、この75年作品でサビーハもラーニーもスパスパ吸っていた。
IMDb 監督の Hassan Tariq はエミー・ミンワーラーとラーニーの夫。
サビーハは6月に死去していた。
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