ラフマニノフはラフマーンではないかと思ったので調べてみた。アラビア語の慈悲深きものの意味で、アッラーの美称のひとつでもある。A.R.ラフマーンやワヒーダー・レヘマーンが、その名にちなんでいる。
ロシア語wikiには貴族の家系としかないが、同じくラフマニノフ姓にあたると奇怪なことにбрахманバラモンに由来するという。しかも古東スラブ語で怠惰な人の意で、ラフマニノフ家の始祖のあだ名だったとしている。
英wikiもその流れで、15世紀のモルダヴィア大公の娘とイヴァン三世の息子のあいだの子がRachmanin古スラブ語のlazyのニックネームをもっていたという。
百度百科の谢尔盖·瓦西里耶维奇·拉赫玛尼诺夫は拉赫曼尼は挥霍无度つまり放埓で、ラフマニノフの父親がまさにそうだったとする。
また一説で拉赫曼尼の意味に親切、慷慨もあげている。慈悲深きものに近い。
別の角度の切り口で、音楽家のPiero Rattalinoによる伝記では、ラフマニノフ家の祖をタタールだとしている。ソースは示されていないが、日本語ウィキでもタタールだと書いている。そのような伝聞が底流にあるのだろう。
純ロシア人とかスラブ人がいるわけでなく、ロシアの成り立ちからいえばタタールを含めた諸族のごった煮がロシア人だ。タタールというのもモンゴルあるいはテュルク系イスラームの大雑把な呼称がタタールで、均一な実体はない。
イヴァン4世はカエサルとチンギス・ハンの継承者を自任していた。ローマ帝国とジョチ・ウルスの後継国家が、ヨーロッパと中央アジアにまたがるロシア帝国だと誇示した。チンギス系統のタタールの王子を一時皇帝の座につけているし、後継者ボリス・ゴドゥノフもタタールを源としている。支配民族の一部だったといえる。
このような事情だから、タタール起源のロシア姓は多いとされる。ただし、ロシア帝国に参入したタタール支配層はみな正教に改宗している。もうひとつの軸がキリスト教国家である以上そうなるだろう。したがってあからさまにイスラーム名を名乗るタタール王族はまずいない。
だからラフマニノフがラフマーンに由来することは、むしろなさそうだ。バラモンから来ているというのも、たぶんラフマニノフ家の異民族起源説の変奏なのだろう。
見てきたかぎり男はこのころの玉木宏、女は浜辺美波がいちばんの美形だと思う。
追記:トゥルシンバエワ記事参照
追記:ラフマニノフ簡裁記事参照