身毒秘宝館(6)

image

 

どうしてパンジャーブの田舎町でカトリックの家庭に育ったシンシア、のちのニーローが踊りの技術を身につけたかはよくわからない。17才の aaye mausam, rangeele suhaane (Saat Lakh 1957) で初めて世間の注目を浴びた。山の娘として、サビーハ・ハーナムとサントーシュ・クマールの前で踊っている。

あまり映像がないし、以前tubeにあったものも廃墟となってしまっているのが残念だ。

 

本格的人気を得たのは1959年の Nagin でのスネークダンスによってだった。この作品では大胆な水浴シーンも演じている。大詰め場面での演出と音楽は、のちにラーニーによるリメイク Naag aur Nagin でも踏襲された。

 

以降

dil jala na dilwaale (Koel 1959)

twist dance  (Daaman 1963)

Raqqasa (1965)

husn ko chand jawani ko kanwal kehte hain ( Payal Ki Jhankar 1966)

と踊りの腕前を見せているが、技術だけでなく踊り心や演技の一環として踊れることが Neelo の美質だ。これによってサビーハに次ぐ世代のスターとしての地位を獲得した。

 

さらにニーローが同時代で特別な存在となったのは raqs zanjeer pehan kar bhi (Zarqa 1969)によってだった。イスラエル兵士に拷問されながら、パレスティナの闘士として歌い踊る場面はとても身毒な表現だ。パーキスターンでは最大のヒットとなり、2年以上にわたって上映がつづいた。

 

これには前日譚があって、イランのかつてのシャーが訪パしたさい歓迎会で踊ることを拒否し連行されるという事件があった。むりやり引きずり出された会場で倒れ、そのまま病院に運ばれた。薬を飲んだともいわれている。映画が現実となったような話だが、現実がまた映画となって鎖につながれて踊る場面がパーキスターン人を揺さぶったようだ。

この物語は、インドでも共感をもって伝えられている。

Neelo Pakistan Magazine Database

 

image