身毒秘宝館(8)

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インドのバンジャーラー Banjara についての記事で、パーキスターンに行ったバンジャーラー出身の レーシュマーReshma を思い出した。ラール・メーリー・パト流行のきっかけを作った歌手で、以前紹介したことがある。

ついでにニーローの映画 Banjaran (1962) も連想したのだが、画質が悪いし Banjaran とはいっても西海岸の漁民 Koli の衣装だしニーロー記事には出していなかった。

問題は、この作品は身毒最初のヘソ出し映画ではないかということだ。ポスターでわかるように、 umad ghumad man ki nadi shore kare でふつうにヘソを見せている。ビリビリのラージシュリー 記事で、シャーンターラーム監督の Geet Gaya Pattharon Ne (1964)がヒンディー映画初のヘソ出し作品とされていると書いた。その前にニーローがすでにさらしていたわけだ。

漁民だから当然とはいえ、62年 Banjaran は映像も記事もなくてどんな映画かまったくわからない。ニーローが寝台で横になって「わたしはどんな旅をしているの」と歌うクリップがあるけれど都市生活者だ。(後記:一部修正)

tubeにニーロー主演としてまちがってあげられているのは、60年のヒンディー映画で別物。

 

wikiの Cultural views on the navel といういろいろ誤った記事では、インドの項目がある。ラージシュリーのことも書いていないし、南インドではテルグの Maro Charitra (1978)が初めてであるような記述だ。しかし、ジャヤマーリニが Devathalara Deevinchandi (1977)でしっかりと得意の腹踊りで誇示している。

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問題のへそは身毒美術ではあたりまえだった身体表象が、独立15年たってやっとニーローによって日の目を見たのではないかということだ。これはさらに身毒映画史や政治文化史をたどって探る必要があるエポックかもしれないし、カエルのヘソさがしかもしれない。

 

 ジャヤマーリニの Devathalara Deevinchandi  はナッラマラ森を舞台としている。この記事 では生きて戻れない場所だそうだ。