ハインラインの輪廻の蛇はこみいったタイムパラドックス話だが、行為の結果として現在・過去・未来の関係が生まれる点では筋が通っている。もっといえば、筋が単純に通りすぎている。なにもかもあやふやな世俗の人間関係のもつれが、論理の剛腕で一本の糸で自己完結させられている。もしくは行為の起点が消滅している。
因果が蛇のようにもつれあっていると思えるのは、時間を往来するからだ。これはたまにやるから面白いので、すべてがその調子なら面倒すぎて人は物語そのものに興味をなくすだろう。
これらを大きな説話として実現しているのがインドの叙事詩で、現世だけでなく前世と来世が設定されているので因果律がラーガのように複雑きわまりないものになっている。前の生で虫を踏んで殺したので今生ではその生まれかわりに復讐されなければならないなら、原因と結果があきらかな俗世の歴史など語ることはできない。
印度には歴史がないといわれ、それはそれでありがたいことだ。基本的にはおなじことの繰り返しである古代社会の王朝の変遷など、おぼえなくてすむからだ。
その理由は記録媒体に恵まれなかったからともいわれるが、前世・来世の時間構造が因果関係をもつれさせすぎているから歴史意識が生まれないのではないか。古代人もこれではいけないと思ったのか、この繰り返しの輪からの離脱解脱が生の目的となっている。
長大なマハーバーラタには皮肉な結末があって、天国をめざして旅するパンダヴァ一族はつぎつぎ脱落してユディシュティラ王だけがたどりつく。するとそこで待っていたのは滅ぼされたカウラヴァ一族で、クルクシェートラの戦場で武士の本分を果たして死んだので解脱に成功していた。下を見やればパンダヴァの同胞やドラウパディーは中途で死んだので地獄で苦しみ、次の生をまたやりなおさなければならない。
輪廻の蛇は邦題でもとは 'All You Zombies—' だが、うまい翻訳だと思う。日本では印度の時間意識が、階段落ちの男女入れ替えと同じくらい文化伝統になっているからだ。
邪馬台国や語源俗解には近寄らないほうがいいのだが、蛇の英語名serpentは、ヒンディー語のसाँपサーンプもしくはसर्पサルプに対応しているとされる。仏語もセルパンで、どれももとは這う者を意味している。遠い先祖の語根を共有していることになっているが、印欧祖語説を真に受けているわけではない。
もうひとつの蛇の天竺名であるナーガはインドネシアでnaga、タイでนาคナークと伝播している。柳田国男はアナゴ、うなぎ、虹(ヌジ)は天竺由来とした。オロチも同根とされる。
青蛇転生はチンシュツァンシュンで、白蛇はパイシュだ。天竺のもうひとつの蛇名にシェーシャーがある。蛇シュ(呉音zo、日本音ジャ)とシェーシャーは同じなのかもしれないが、蛇の威嚇音シャーが共通して反映されているだけとも思える。
ヘビやハブは韓国語の뱀pemから来たのだろう。テルグ語でపాముパーム、タミル語பாம்புパーンプ、マラヤーラム語പാമ്പ്パーンプ、カンナダ語でಹಾವುハーヴとなる。これは同根かと疑うが、とりあえず蛇沼に足を踏み入れたくない。
今田美桜がナリニー・ジャヤワントに似ていると思えても、今田がインド人という証明にはならない。ウロボロスの蛇は地球を一回りしているようでもあるが、あまり本気にしてもよくない。