恋せぬふたり

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岸井ゆきの高橋一生の組み合わせは興味深いしロケーションや撮影はよいが、脚本に説得力がないのが残念だ。

話は地味なロンバケで、ふたりは偶然同居をはじめる。前世紀ドラマのほうは山口智子が「根拠のない自信」(ナンシー関)にもとづいて話をぐいぐい進めた。今世紀のほうは高橋のブログで読んだ独身哲学に岸井が共鳴して、色恋ぬきの同棲実験をする。

 

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この橋の欄干がある通りは、横浜の弘明寺にあるようだ。商店街にこういうおまけがあるとうれしい。

 

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下を流れるのは大岡川で、春は桜が満開となる。川のほとりを親しくふたりが歩く場面があるようだといいが、いまのところ話は迷走している。

他に橋のある商店街では、石神井川をはさんだ板橋の旧中山道仲宿通りが思いつく。

 

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岸井の役どころは、能年の「私をくいとめて」に重なる部分もある。

共通して恋愛や男に興味はないのだが、岸井は「おひとりさま」も嫌でそこに違いがある。そのため独身主義者どうしで「家族になろう」と高橋につめよる。ここらへんから訳がわからなくなるが、これは高橋のカタカナ語哲学を誤解しているからでこの話はコメディーでもある。

岸井は実家住まいでけして居心地はわるくないのだが、無言の結婚圧力を感じてもいる。実際問題としては老後の面倒や家事分担を考えれば、稼ぎもある子に親が「結婚しろ=出ていけ」とせまる理由はあまりないと思える。

 

高橋はいっしょに暮していた祖母が最近死んだため、弘明寺の広い家でひとり暮らしをしている。建物の趣味はわるくないが古くさい。家の維持を考えれば、同居人がいるのもわるくない。ハドソン夫人とホームズのように岸井を下宿人として置くのは、ありうる選択だ。高橋は小型の阿部寛のようにこだわりが強いが、おたがい色気はないし二階に自室があり岸井は一階で住み分けられる。

 

ふたりはいつしか心が通い大岡川を散策するようになる、というわけではなくもうひとりの男があらわれる。

岸井の元男友で、メントスコーラのように発泡性が高い。趣味嗜好推しのアイドルが共通というところで親しくなった。なりゆきで無理やり性侵入され、当然気持ちよくないだけでなく「俺の女」とかいいだしたので分手したのだった。

そこからは要約も面倒だがその男のために階段落ちした高橋は怪我を負い、男は責任をかんじて介護することになる。三人暮らしで男はカタカナ哲学を理解しようとつとめ、岸井は男を見直しいっしょに高橋のまえでオタ芸を演じたりする。そうなると高橋は面倒なおじいちゃんのようだ。

この先を見るかは迷うところだ。

 

 

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「私をくいとめて」で能年の同僚を好演した臼田あさ美は、性の荒海を楽しんで泳ぎきる術をもっていた。男選びも独特で、出世しそうにはないラテンノリの相方をゲットする。たぶん性的能力を見抜く才能があるのだろう。「告白・ごめんなさい」文化の適応者だ。よく考えられた対照的人物で、それに影響されて能年も林遣都との仲を深めていくことになる。

 

「恋せぬふたり」は恋愛至上主義の男女関係を見なおす趣旨があるようだが、攻略計画がちゃんと立てられていないので中盤でメントスコーラを投入してしまった。盛り上げるつもりが話はかえって停滞してしまっている。啓蒙臭も気になるところだ。

 

 

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岸井高橋が階段落ちして入れ替わったり、財産ねらいで毒殺しあってふたりで泡を吹くような話を観てみたい。検索ワード:岸井 泡

 

 

逃亡医は第一話で海、第二話で雪山が魅力的な脇役で登場していた。しかし第三話では田舎の喫茶店が舞台の人情話となり、ここで脱落することにした。