長江三峡の瞿塘峡
峡江疑影 (1985)は辛亥革命の発端となった武昌起義前後の田舎町を舞台にした、いっぷう変わったサスペンス功夫片だ。背景となるのは今日では三峡ダムで知られる長江三峡で、洪家集と呼ばれる険しい峡谷のほとりの町で事件は推移する。
孫文を頭目にした中国同盟会の一員が町にいると目され、それを探索する謎の密偵が潜入する。誰が革命派で誰がスパイなのか、あきらかにされないまま全編が陰鬱で重苦しい雰囲気で描かれる。プロの腹芸と武術隊員の適切とはいえない演技が、展開を読めないものにしている。
蜂起前夜の視界が閉ざされ疑惑につつまれた人間関係を味わうのが眼目で、その背後にあるのが長江の荒い流れであり陽光をさえぎる切り立った崖だ。
町の長の娘を演じる王秀萍
召使の張稀玲 二人とも功夫の腕はたしかだ
話の性格上あらすじも人物説明も格闘映像もないほうが楽しめると思われるので、三峡と武昌起義だけ紹介する。
長江三峡は湖北省宜昌市と、劉備の死処である四川の白帝城のあいだの190km以上にわたる河流だ。瞿塘峡、巫峡、西陵峡の三つの難所があるので古来から三峡と呼ばれている。
西陵峡はいちばん下流で宜昌市に近く三峡ダムがあり、さらに下れば武漢(武昌)にいたる。杜甫の「昔聞く洞庭湖 今上る岳陽楼」の詩で知られる名所は宜昌の東南にある。
ダムが出来てからは1万トン級の船舶が航行可能になった。
冒頭画像の瞿塘峡は作品の最初にあらわれる。映画では四川に行く、あるいは来るとの台詞がたびたび発せられるので、舞台はさらに下った湖北省の巫峡なのだと思われる。張家界の絶景は山を越えた南の湖南省に位置する。
洪家集はこの水運で暮らす町だ
武昌起義は1911年10月10日に起こり、清朝を滅亡にみちびいた。これを記念して台湾では双十節、大陸では辛亥革命記念日が祝われる。中国同盟会は1905年に結成され、孫文の基盤の広州でなんどか蜂起に失敗していた。これに対し南部でなく革命機運がみなぎる長江での決起が提起され、政府軍内への浸透と工作が進められた。偶然に偶然が重なり歴史が転換していくありさまは、物語のような動力がある。維基
その拠点となったのが武昌で、武漢に改称されるのは革命後のことだ。武昌と四川の重慶(1997年直轄市化)をむすぶ長江の流れの住民に、同盟会の勢力の手がおよぶのは必然ともいえる。