巴陵窃賊

 

巴陵窃賊 (1987) は、武林志の李俊峰が主演のミステリー功夫片の佳作だ。ポスターの後景に浮かぶのは岳陽楼で、洞庭湖とともに映画の舞台となっている。全編

 

ここは古来詩文の題材となってきたが、杜甫登岳陽楼と范仲淹の岳陽楼記が名高い。

後者は先憂後楽の句の典拠だ。

 

巴陵は岳陽の古名で、夏の弓の名人である后羿が殺した洞庭の巴蛇にちなんでいる。物語の清の時代も巴陵縣は公式名称だった。

 

 

岳陽楼(清代の改築)

 

太平天国の敗将である李俊峰は、娘の王麗莎とともに岳陽で彫刻師として静かに暮らしていた。家の灯りにランプを使っているので、1870年代以降らしい。李俊峰は武林志のときよりさらに演技力が向上し、過去のある初老の職人になりきっている。王麗莎は湖南武術隊員で、父に学んだ功夫を要所で披露する。

 

 

李俊峰はある日、豪華な船に居住する富商に岳陽楼の彫屏を模刻してほしいと頼まれる。それは岳陽楼記を黒檀に彫りこみ、楼内の壁に貼られたものだった。

日を経て完成した模刻を船に納めた夜、家に盗賊が侵入する。しかし代価の銀を惜しげなくくれてやり、さらにその後たずねてきた武侠をあしらって帰す。このとき、武侠が投げた煉瓦を箸で受け止め腕前の一端を見せる。同じ深夜、覆面の怪人が李家を襲撃するが機略でかわす。

 

一連の出来事をあやぶんだ李俊峰は店をたたんで町を去ろうとするが、悟ることがあって岳陽楼に走る。すると楼内の岳陽楼記彫屏は、模刻とすりかえられていた。

富商の船はなく巴陵縣府に訴え出るが、知事直々の大捜索のかいもなく真刻の行方はわからない。それどころか三人の娘が殺害される猟奇事件が起きてしまう。さらに友人の楽師の娘が殺され、その胸に李俊峰の彫刻刀が刺さっていたためかえって犯人として囚われてしまう。

はたして父子はこの苦境から脱することができるか、一連の事件の真犯人はだれかが後半の物語となる。

 

 

清代の洞庭湖 

 

洞庭湖は通常で琵琶湖の4倍、増水すればさらにその7倍にふくれあがる。長江の中流下流の境に位置する巨大な遊水池のようなもので、古来から姿を変えてきた。宋代の山東梁山泊が、いまは形をとどめていないのとおなじだ。

また現在でも季節によって増減があり、ことにこの夏の例のない旱魃によって著しく面積が減少した。

 

左上にある宜都はいまの宜昌で、長江三峡の出口にあたる。流れはそこから劉備が流浪の果て最初に拠点とした荊州を経て、岳陽で北東に向きを変え赤壁を過ぎて武漢にいたる。

杜甫の詩に「呉楚東南に坼け」とあるように、湖を境に南は楚となり湘南の名が生まれた。屈原が身を投じた汨羅の水は洞庭にそそいでいる。

映画のなかで洞庭に船を出す場面はなんどもあるが、あまりに大きいので漠然としている。