シヴァージ・ガネーサンは1964年に、カルナを主人公にした Karnan に主演している。マハーバーラタ登場人物のサンスクリット名語尾は、テルグではdu、タミルでn が付き、ヒンディーで母音が消える。カルヌル、カルナン、カランといった具合だ。
マハーバーラタの本筋であるバラタ族争闘は、長大な叙事詩の五分の一にすぎないといわれる。あとはナラ王物語、サーヴィトリー物語などのお話中のお話やバガヴァット・ギーターなどのメッセージが大半を占める。
カルナの不運な善人という役どころはデビュー以来シヴァージが得意としたところで、Dana Veera Soora Karna (1977)では NTR のカルナはいつも涙を流していた。
カルナはもともとパンダヴァの長兄で、若き日の母親のクンティーは太陽神スーリヤとの交渉から生まれたカルナを箱舟に入れて流してしまう。他の兄弟三人も神とのあいだの子だ。
御者の夫婦に拾われ育てられたものの、カルナはやがて出生の秘密を知る。
武士になろうとして弓の修練をして弓合戦に参加するが、クシャトリヤでなく御者の息子だということで拒否される。
そこを救ったのがドゥリョーダナで、この映画でのドゥリョーダナはただのいい奴だ。
ドゥリョーダナ妻のバーヌマティ(サーヴィトリ演)もふくめた交情が始まる。
カーストを引き上げられたカルナは、アンガ王(ビハール、ベンガルあたり)に取り立てられ善政を布く。
インドラが化けたバラモンに不死の鎧を布施する。
このあたりは Dana Veera Soora Karna と同じ流れだ。
武術をさらにきわめたいとバラモンに変装してパラシュラーマに弟子入りするが、苦痛に耐えるさまからクシャトリヤだとばれて破門される。
映画の中盤はオリジナルをまじえたホームドラマのようになる。
スバンギと結婚し、幸せな家庭生活が描かれる。スバンギ実家との悶着はあるがいつのまにか解消される。
サーヴィトリとChauparのようなサイコロ遊びをしてうっかりその手にふれてしまっても、夫のドゥリョーダナはなんの疑念もいだかない。
と退屈な展開がつづくうちに、パンダヴァ兄弟が追放される。叙事詩のカルナはドラウパディーに差別された恨みでなかなかエグいことをするのだが、この映画ではまったくそこらは描かれない。
そして NTR によるクリシュナが登場する。以後の経過はテルグのマハーバーラタ映画と同じだ。
母親クンティーと対面し、パンダヴァを殺さない約束をする。
ビーシュマと不和になり、戦線を離脱する。
戦闘開始でアルジュナは逡巡するが、説得するクリシュナはここでは宇宙形態を示さない。
ビーシュマが脱落し、カルナが司令官として復帰する。
カルナは無双するが、母との約束で逡巡してパンダヴァにとどめを刺せない。
アルジュナの息子アビマニュの死は描かれないが、そのかわりカルナの息子の Vrishasena が戦死する。
超兵器ナーガアストラ を発射する。これは本来、ガトートカチャを殺すものだった。
戦車の車輪が地にはまって、アルジュナから瀕死の矢を受ける。
クリシュナはここで宇宙形態を示す。テルグ版よりかっこいい。
追い討ちをかけるようにクリシュナはバラモンに化け、虫の息のカルナの最後の力を布施させ死亡にいたる。
臨終の場に母のクンティー、ドゥリョーダナ、兄弟だったことを知ったパンダヴァたち、妻のスバンギが勢ぞろいする。カルナは父親の太陽神スーリヤと合体する。
シヴァージは戦車群をハリヤーナー州のクルクシェートラまで運んだり超大作となったが、興行はそれほど成功しなかったとされる。インド陸軍が協力し、戦闘場面は撮影技術もふくめテルグ版より迫力がある。お寺まいりをしてドラヴィダ運動からは非難された過去のあるシヴァージだったが、この作品以降は神様映画にひんぱんに出演するようになった。おかげでパドミニの踊りを見ることができる。