ジャンガルの司令官 ミールザー・クーチャク・ハーン

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イランのジャングルを見たかったら、映画ミールザー・クーチャク・ハーン (1983) と同年製作の続編であるジャンガル司令官 (1983) がいい。

 

1920年代の革命家ミールザーは、カスピ海沿岸の山林に立てこもってカージャール朝と戦いジャンガリーと呼ばれていた。20世紀初頭の立憲革命は英国と帝政ロシアの干渉でいったん足踏みしたが、各地で蜂起がつづき王政はさらにゆらいでいた。タブリーズ、ホラーサーン、コルデスターンで自立勢力が生まれた。

第一次世界大戦とその過程で起きたロシア革命の結果、帝国白軍はイラン北部に逃げこんで占領しソヴィエト赤軍に対抗していた。英国は南部を支配下におさめていた。

英国と白軍は対ソヴィエトで手を結び、ミールザーらにバクー奪取のための物資補給線確保に協力するよう求めた。これが拒否されると英・白軍は攻撃を強め、ミールザーは拠点から撤退せざるをえなくなった。

 

映画の第一部の冒頭で、王政正規軍のコサック旅団の司令官であるレザー・ハーン(後の初代シャー)のもとにミールザーの生首が届けられる。そこから回想がはじまる。

ミールザーたちは尖頭型のフェルト帽に髭を深くたくわえ、2500年前のハカーマニシュ朝時代の人々と変わるところがない。ただし軍服に小銃、モーゼル銃を装備しゲートルを巻いているところが近代だ。

ミールザーの部隊は、山林の中でひたすら行軍をつづける。ギーラーン州の山麓はイランのジャングル地帯だが、下生えにはばまれる密林ではなく日本の山地に近い。ミールザーはギーラーン州から東のマーザンダラーン州トネカボンをめざすものの、多くの同志を失いさらにまたラシュト近郊のフーマンにもどる。

この過程で古い友人のヘシュマット博士のグループは、恩赦の約束を信じて投降するが結局処刑されてしまう。

第一部の3分の2は、ジャンガルのなかでの逃避行が描かれる。しかしギーラーンにもどって生き残りグループと合流することに成功し、そこからゲリラ戦の快進撃がはじまる。結尾ではカスピ海に軍艦が登場し、英国軍の要塞に砲撃をくわえる。

 

これらは1919年の出来事だった。ロシア革命2年後の内戦期であり、この年に中国では軍閥割拠のなか国民党が成立し五四運動も起きた。トルコでは独立戦争がはじまっている。

 

 

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第二部結末であらわれたのはソヴィエト海軍で、英軍にかくまわれた白軍司令官デニキンの駆逐を目的としていた。

英・白軍の後退に勢いづいた立憲革命勢力は、ミールザーを代表にギーラーン社会主義共和国を設立し政府との闘いがつづく。

だが労働者を基盤とする急進的共産主義者と、商人階級を背景に持つ穏健派の対立がはじまり中間派のミールザーはいったん身を引く。

映画のミールザーはつねに念珠を手にしクラーンに接吻したりするが、それ以上の宗教的描写はない。神学校出身でムスリムではあったようだ。農民の地位向上をめざしたが、大土地所有制度には手をつけなかったともいわれる。しかし歴史的実像はよくわかっていない。クルドだったとの説もある。

 

内戦で疲弊したソヴィエトは白軍が登場したら再駐留する条件で英国と協定し、ギーラーンから撤退する。アゼルバイジャングルジアアルメニアを結合したザカフカース・ソヴィエト共和国設立が重点戦略となった。

この結果反カージャール朝の各地の自立勢力は、レザー・ハーンひきいる政府軍に撃破されていった。

ミールザーたちは古くからの支持者である山間部クルド女性氏族長のもとに避難しようとするが、雪山に阻まれ同志たちは脱落していった。さらに吹雪に襲われ、最後に残ったひとりとともに凍死した。1921年12月のことだった。発見された遺体は斬首され、第一部冒頭にもどって首は後のレザー・シャーのもとにとどけられて劇終となる。

 

ラシュトの広場にはミールザーの像が建てられ、悲運の革命家としていまでも人気が高くTVドラマシリーズが制作されている。

 

 

ミールザーと同志たち