アブラール兄のイラン再訪 (1)

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アブラール・バーイーと呼ばれ南アジアで人気となったアブラールVlogでは、シーズン5でイランを通過してマッカへの旅が記録されている。今回はスポンサーもついて、番組っぽい仕上がりだ。そこから中東全域、現在進行中のインドツアーへとつながっていく。イラン旅は2022年の2月に開始され、Vlogは一週間おくれくらいで道中upされている。

 

パーキスターン国境は帰郷時とおなじTaftan通過だ。前回は手こずったが本来パ・イ間は日用品ガソリンの交易、巡礼の行き来で通関はゆるい。また手続きにさいし今回は、英語のできるエージェントがいて便宜をはかってくれた。そのため非常にすんなりと出入国できた。

バイクは同じBMWで、前からこれにRangeeliと愛称をつけている。رنگیلی colorfulだが、それ以上の含みがあるのだろうか。愛人とか。

 

イランのSIMが入手出来ているので、モバイルナヴィが使える。前回はダウンロードした地図に頼っていた。BGMに東欧のクレズマーが流れている。欧州在住時におぼえたのだろう。冬だから走行は寒い。

パーキスターン、イランそれぞれのバローチスターン地域で闇ガソリンを購入することになったが、イランの通常にくらべとても高い。

 

 

前回ザーヘダーンでホテルが取れなかったので、国境を越えたらすぐ南下してチャーバハールをめざす計画だ。南周りでバンダルアッバース、シーラーズ、テヘランからまた南に向かいイラクに入る予定だ。

ヴィザに余裕があるので、チャーバハールの途中のイーラーンシャッフルIranshahrで初日は泊まる。(地図の点線は実際の道ではない)

 

 

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イーラーンシャッフルはバローチスターンの都市で、住民はサルワールカミーズを着用してパーキスターンに似ている。街を走る車は古いプジョーで、制裁の影響を感じさせる。

イランのいいところは正規のガソリンが安いことだという。5リットル100ルピー(リッター10円)で注油できた。

オフロードを走ってみるが、ケバブを食べた店でここは安全なルートでないといわれる。移民の通過地だからとのこと。

 

ハイウェイにもどってチャーバハールにたどり着く。シャー時代からの自由経済区なので、都市はヨーロッパのようだという。

ホテルはみな豪華だが、宿が取れない。ネット予約できないから飛び込みになるので、それが毎日のイヴェントになる。やっと6000円の大きな部屋にありついた。

 

 

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イーラーンシャッフルから南に来ると暖かいとのこと。海に近づくからだろうし、イラン南部は乾燥砂漠酷暑地帯となる。

この日は休息にあて、金曜なのでモスクに祈りに行く。ウルドゥ話者がいただけでなく、Vlogの視聴者もいてあいさつする。

up主はパーキスターンのどこから来たと問われると、きまってラーホールの近くと答える。実際はファイサラーバードとラーホールの中間なのだが、後者に親しみがあるようだ。パーキスターン紀行のVlogでファイサラーバード式ユーモアに抵抗感をあらわしていたので、気質のちがいとかあるのだろう。

 

チャーバハール近郊にピンクの湖があるといわれて訪ねたが、実際はグリーンでピンクなのは特定の季節だけらしい。 

イランのいいところは家族ピクニックがさかんなことだという。マクラーン海岸のイラン側にあたるが、パーキスターンではピクニック文化がふるわないらしい。

またパーキスターン人は海岸に無関心で、レジャーは北の山地に向かうとのことだ。

火星の山というところがあるといわれ、足を延ばすとほんとうに火星みたいな泥岩の奇観だったのでドローンを飛ばした。

 

 

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チャーバハールからバンダルアッバースまで650km12hrの行程だが、350km先のバンダレジャスクBandar e Jaskをめざすことにする。

ところが宿代を払おうとするとドル交換できないといわれ、結局4時間浪費したのちアフガン人学生が助力してくれて両替できた。2泊で88ドルだった。

 

やっと出発したものの、海岸沿いルートだが海は見えず退屈な道だという。緑は豊かでバナナ農園もある。ラクダもうろついている。

 

バンダレジャスクについて宿探しをしていると、英語ができる地元民にホテルに案内するといわれた。アッラーの守護をねがってそのバローチ人に付いていくと、28万トマン(2200ルピー1100円)のリーズナブルなホテルに導かれた。宿を確保してから街に両替に出かけた。パーキスターンでは宝石店がチェンジをするので、同様の店に飛び込んでみると応じてくれただけでなくおまけしてくれた。

レストランに入ると、バローチ人の家族的雰囲気の店で気に入った。始まりは両替で手こずったが、結局悪いこともよいこともあった一日だったと締めくくった。

 



 

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バンダレジャスクからバンダルアッバースまでの道で、これまで欧州から3万kmのバイク旅で最大の事故を起こした。

道端の標柱に接触したのだった。落車し手にケガしただけでなく、車体も損傷した。

ここでも通行人が助けてくれた。ウルドゥが話せるバローチで、自宅まで連れて行きバイク修理までしてくれた。海岸地帯はウルドゥ話者が多いようだ。

食事をふるまわれ、泊まってもいいというのを固辞してバンダルアッバースに向かった。到着して100万トマン(45ドル?35ドル?相場はあやふやだ)の部屋を確保できた。バーザールに出かけるとたいへんにぎやかで、ノウルーズ前のイランの各都市を思わせる。夜になると人出が増えるのもおなじだ。

アブラール兄は事故が軽微ですんだのはアッラーのおかげだが、いちばんは純正ridinggear防護服の助けがあったからで装備はきちんとしましょうと兄らしく一日を総括した。