荷風マイナス・ゼロ (2)

上海を守備する中国国民革命軍

 

昭和17年(1932)、3月4日「銀座通商店の硝子戸には日本軍上海攻撃の写真を掲げし處多し蓄音機販売店にては盛に軍歌を吹奏す、時に満街の燈火一斉に輝きはじめ全市挙って戦勝の光栄に酔わんとするものの如し、思うに吾国は永久に言論学芸の楽土には在らず、吾国民は今日に至るもなお往古の如く一番槍の功名を競い死を顧みざる特種の気風を有す、また奇なりと言うべし」

 

この年、1月28日に第一次上海事変が始まった。3月1日、中華民国軍が上海から撤退と同時に満州国建国が宣言された。

 

3月5日、銀座風月堂で夕食時に新聞で三井財閥総帥である団琢磨暗殺を知る。暗殺者の母体で水戸に拠点をおく血盟団について「元来水戸の人の殺気を好むは安政年間桜田事変ありてよりめづらしからぬことなり・・これを要するに水戸儒学の余弊なるべし」と記す。この一連の暗殺は日本ファシズムの起点とされる。