荷風マイナス・ゼロ (3)

昭和7年(1932) 5.15事件の号外

 

昭和7年(1932)

 

3月10日、銀座のオリンピックで夕食をとる。数年前までは町に出かけ食事することもそれほど面倒ではなかったが、数えで54才のいま「牛肉を咀嚼するに骨が折れ、また料理の献立表を見るにも老眼鏡をかけ直すなど、煩わしき事多く」むしろ家で麦飯を食ったほうがいいと述懐する。しかし医師の忠告で洋食を食らうのだという。

実際には、最新風俗の女給がめあてで銀座に足を運んでいる。

3月13日、米国シカゴ、ニューヨークで日本排斥運動が起きていると記事を抜き書きする。

 

春になり隅田川を渡って、深川、砂町(砂村)、船堀への散歩がふえてきた。帰りに銀座に寄り、食事後カフェー・タイガーなどに足を伸ばすのが常だ。銀座に行けば、なじみの女給や友人と出くわすことが多かった。

洋食店オリンピックはいつも繁盛していたが「客は男女事務員店員学生等にて、東京の言葉をつかう者ははなはだ少なく、また行儀作法を知るものほとんど無し。」テーブルマナーを知らないと、外遊者荷風は嫌味をいう。

大正のころの日本橋浅草では「職人小商人の如きものの食事をなすさま、今日の男女事務員などに比すれば、遥に優長にて互いに礼儀作法を守り居たり。」と嘆いている。

 

第一次大戦後の都市の好景気と恐慌による農村の没落により、東京は世界第二位の人口を抱えるようになった。区政もこの年、15区から35区に改正され大東京市が誕生することになる。

 

4、5月の荷風は下町散策と銀座通いにくわえ、週一度はなじみの女性と大森海岸の連れ込み茶屋にしけこんでいた。

 

4月9日、夜銀座で食事をする。「露店の玩具屋は軍人まがいの服装をなし、軍人の人形をはじめ飛行機戦車水雷艇の如き兵器の玩具を売る。蓄音機販売店にては去年来軍歌を奏すること毎夜の如し。」

回顧すると日清戦争以来たいてい10年ごとに戦争があった、と書く。明治33年(1900)の義和団事変、明治37~8年の征露戦争、大正9年(1920)の尼港事変、こんどの満州上海の戦争「而してこのたびの戦争の人気を集めたることは征露の役よりもかえって盛んなるが如し。軍隊の凱旋を迎える有様などは宛然祭礼の賑わいに異ならず。今や日本全国挙って戦勝の光栄に酔えるが如し。世の風説をきくに日本の陸軍は満州より進んで蒙古までをわが物となし露西亜を威圧する計略なりと云う。」

4月11日、江東小名木川あたりを散歩する。二十ころ落語家朝寝坊夢楽に弟子入りして夢三郎の名をもらい、小名木川べりの寄席に通っていた。ある雪の夜、帰り道に女芸人と酒を飲み「酔いて心の乱るるまま路傍の小屋に女を引き入れ戯れし事あり」と回想する。30年の昔のこの辺りのさびしい裏町の光景は、もう思い出すこともできない。「ただ変わりなきは大川の乗合汽船ばかりなり」

4月18日、小名木川猿江を歩く。寺の門前の寄席に「女芸人四五名半裸体にて踊りいる写真を出したり。」

4月21日、銀座カフェ・タイガーで酔客が争い、2人が匕首で刺され死亡する。

「血を見る事を好むは日本人の特性なるべし・・されば戦争に臨みて日本人の勇猛なること野獣の如くなるもまた更に奇となすに及ばず。」

4月29日、「上海にて天長節祝宴に爆裂弾を投じたるものあり。」日本公使、将軍らが負傷と号外が出た。

4月30日、銀座三越の軒下に踊り子か女優かと思われる美人がいたので眺めていると、向こうから声をかけ誘われる。「此の頃噂に聞く銀座通の街娼というものなるべし。」

 

5月1日、銀座で夜食し京橋に出ると路地のカフェで女給が客引きしていた。3円で春を売るという。5円出せば「女ニ三人裸体になり客の望むがままにいかなる事をもすると云う。」新橋芝口路地のカフェでは「祝儀四五円あたえれば女給テーブルの下にもぐり込み」(以下略)と聞く。
5月2日、「三越松屋松坂屋および森永菓子店いづれも売児女に厚化粧をなさしめ異様なる洋服を着せ、客を呼び込むさま見世物の木戸口に似たり。カッフェーにても女三四人を戸口に立たせて客を呼び込むこと一般の風習となれり。此の頃の銀座通は明治時代の遊郭の張見世に異ならず。」

5月5日、「中日停戦条約成れりと云う。」

5月6日、松屋百貨店前で先だっての街娼に会う。二人連れで五円・二円くれればなんでもするという。芝浦のなじみの待合に円タクで行った。一人は19、一人は20才。部屋に行くと湯に入るようにするすると着物を脱いだ。プロともいえず「余が遊蕩三十余年の経歴を以てするも」見当がつかないと記している。出身は会津と自称し、農村過剰人口の流れついたモダン風俗なのだろう。

5月15日、五・一五事件。「近年しきりに暗殺の行わるること維新前後の時に劣らず・・今回の如く軍人の共謀によりしものは、明治12年竹橋騒動以後かつて見ざりし珍事なり。或る人いわく今回軍人の凶行は伊太利亜国に行わるるフワシズムの模倣なり。」