時間旅行SFの古典、広瀬正マイナス・ゼロはファンの多い夏への扉より周到に過去を取材している。
主人公は、1963年をゼロとして一気に昭和7年5月まで31年飛ぶ。主人公は着地点の世田谷区梅ヶ丘から銀座まで出かけるが、そこで当時の風俗が丹念に描かれる。主人公は173cmで63年当時で背の高いほうとされているが、昭和7年では外国人とまちがえられる。荷風も同身長だったから、銀座を歩けば目立ったことだろう。
このころまだ服部時計店や日劇は工事中で、銀座三越も2年前にできたばかりだ。マイナス・ゼロによれば行きかう人の半数ちかくが和服下駄履きで、その他を「圧して聞こえてくるのは、通行人の足音だった。」
インバネスの中年男や矢絣の女にまじり、洋装の男のズボンは太く女の服もウエストがゆったりしている。洋服にみな帽子をかぶり、男は中折れで女はお釜帽だ。
松屋では水着の特売と称し、マネキンが実演ショウをしていた。街頭には上海事変にさいし与謝野鉄幹が作詞した爆弾三勇士の歌が流れている。荷風行きつけの洋食店オリンピックをすぎて通りを歩くと、大学野球の実況中継が聞こえてくる。
主人公はタクシーをひろって桜橋に向かう。いまの新富町と八丁堀の境あたりだ。銀座から1kmもない。料金は20銭だった。日銀資料に準じれば、昭和7年の1円は5千円あたりか。谷崎疎開記事での戦争末期には、五分の一に減価していたことになる。
桜橋に行ったのは、主人公の両親が営んでいた理髪店を訪ねるためだった。そこでは母親が、生まれたばかりの自分に乳をやる姿を見ることになる。