荷風マイナス・ゼロ (1)

昭和六年(1931)、柳条湖爆破事件翌日に瀋陽奉天)を占拠する日本軍

 

永井荷風の断腸亭日記をタイムマシーンにして、狂乱の戦前を旅してみたい。旧字仮名遣いは適時変更している。

 

昭和6年(1931)

 

9月20日、「この日朝の中より四隣ラヂオの声騒然たり、日曜の故なるべし」

新聞を読まずラヂオを嫌悪していた荷風は、18日満州事変の勃発を知らない。

9月22日、号外売りが門外を走りすぎるのを聴き、満州の戦報だと推測している。

9月25日、満州戦乱の号外、満州戦争開始の記述。

10月23日、銀座風月堂で夕食。このごろの荷風の遊び場は銀座だった。「銀座通学生制服制帽のままにて三々五々散歩するもの日に日に多くなれり、カッフェーに入りて泥酔して校歌を叫ぶもの今は珍しからず」。

10月24日、「此夜招魂社(靖国)祭礼最終の日にて、妓婦茶楼軒並に花笠挑灯をさげ、芸者は幾組にも分かれて手古舞住吉舞などの催をなし茶屋の門々を歩む表通は参詣の人群をなし、見世物さわがしく、花火の響しきりなり」