荷風マイナス・ゼロ (5)

乗合自動車1930年ころ

 

広瀬正マイナス・ゼロの主人公がタイムトリップして着いたのは、昭和7年(1932)5月27日だった。この日荷風は、市川左團次(俳号杏花)邸に招かれて閑談している。左團次イプセン劇を演じる革新派で、荷風とは銀座の飲み仲間だった。

 

マイナス・ゼロでは、この時期の物価をリストにしている。

市電7銭、乗合自動車10銭、はがき1銭5厘、うどん10銭、エビスビール33銭、牛ロース100匁(375グラム)1円30銭、豚一等肉100匁40銭、新聞90銭、歌舞伎座一等席3円50銭、帝国ホテル風呂付10円、新橋芸妓玉祝儀2時間6円60銭、玉の井ショート1円50銭、玉の井泊り3円。包茎安全自療器3円80銭などというのもある。

このブログ記事では、この年1円=5千円と概算している。市電350円、ビール1650円、豚肉は100g530円くらい。谷崎日記では、昭和19年牛肉は1.5kg52円(10万4千円)。

 

昭和7年(1932)

 

6月9日、最近週一でなじみの女性と銀座の喫茶店で待ち合わせし、車で大井町の茶屋に行く。洋風鏡の間を見たいからだった。

 

7月5日、「此の日の夕刊新聞に共産党佐野某その他百人ばかり所刑の記事出でたり。」

7月6日、鴎外上田敏の追悼会を与謝野鉄幹が催すと聞いたが「春来神経病ますますよろしからざれば往かず。」5月ころより体調不良で不眠症に悩まされていた。鉄幹の好戦姿勢を嫌ったのかも知れない。

 

7月20日、「銀座の表通はいつよりも賑やかなるに・・横町のサロン春の戸口には此の頃の不景気にも似ず酔客の出入り絶える間もなし・・此の店の女給里子という女米国活動写真の役者チャプリンなる者に愛せられ遠からずかの国に渡りてその妻になるべき由。今夕の新聞に出でたるが、早くも評判となりかくは人の出入り多くなりしならむと。」

7月21日、このごろ銀座裏通りに散在する淫具屋の店頭にあおとかげ酒と称するものを並べていると記す。「淫具を売る店は銀座の裏通りのみならず市中至る所にあり。みな性という一字を招牌にするなり。けだし洋語のSexの訳字より来たりしものなるべし。大正三四年頃より生殖器病及び梅毒などの治療をなす医者ども性病という語をつくり出しぬ。今は性の一語普遍となり色欲劣情などという語は全くすたれたり。されど元来性の語はかかる意にあらず。」

7月31日、「炎熱益甚だしく夜深に至るも涼風来たらず。・・神田本郷町の電車通りに鰻を水桶に泳がせ釣り堀の看板出したる露店十か所ほどあり。数寄屋橋通にもニ三か所見受けたり。是今年の夏始めて見る所なれば記し置くなり。」

梅雨明けから炎暑が続いたとこのごろ記されるが、摂氏28度くらいのものだった。