荷風マイナス・ゼロ (14)

非常線の女 (1933) ダンスホール・フロリダが舞台となった

 

昭和9年(1934)

 

1月12日、福沢諭吉生誕百年の寄付金をもとめられた。もし世の中の役に立つことを欲するならば、野球勝負のたびに学生が泥酔して市中を横行する悪風をやめさせるのが先だと記す。

1月14日、近ごろ入れ込んでいる私娼(ひかげの花のモデル)を家まで送る。その二階には6室あり私娼で旦那取りするもの二人、芸者上がりの妾一人、カフェの女給二人がいる。各自勝手に旦那や色男を引き入れるため、二階はさながら待合か連れ込み旅館のようだという。

1月16日、銀座の喫茶店キュペルの女給が、常連と結婚するとのうわさを聞く。

1月20日、放送局アナウンサー試験の事情を聞く。「鮨をまぐろとよむものあり。金平牛蒡の何物たるかを知らざるものあり。小督局をコトクキョクと読むものあり。いづれも私立大学の卒業生なりと云う。」

1月22日、牛肉店で食事。ヒレ二人前1円60銭。

1月29日、浅草に行く。「松竹座向かい側に自転車預り所預かり賃金五銭という札出したる店二三軒ありて、自転車土間一面に置かれたるを見る。市中他所にはなきものなるべし。」

 

2月3日、兜町に行き定期預金の全額を株券に換えることを委託する。平価切下げ説があったためだった。荷風は状況に応じて、株と現金の切り替えを行っていた。

2月7日、芸娼妓周旋業をする知人を訪ねる。景気を問うと、満州より大口の注文があって多忙だという。大連の料理屋の主人などは飛行機でおりおり上京し、三日ぐらい滞在して一度に女10人くらい連れて行く。上玉は前借ひとり3千円で並は千五六百円という。これは日本の倍の相場。

2月16日、なじみの私娼と浅草千束町を歩く。新富町の陰間が逮捕された話を聞く。千束町の吉原に通じる道の喫茶店に入る。コーヒー、紅茶、水菓子、汁粉、雑煮、蕎麦掻、おでんなどどれも10銭だった。客の男たちは近所の珈琲店の女、安芸者、私娼だかなんだかわからぬものを連れていた。

2月20日、赤坂溜池のアメリカンベーカリーで夕食。ダンス場フロリダに行く。(溜池といっても今の六本木通りANAインタコンチ対面あたり)

2月23日、「当世青年男女の用語 どうかと思うね、わしゃアつらいヨ、参ったヨ、相当のもんだ、相当につらいよ、のしちゃう、雰囲気に酔った、バックを離れて自分だけとして考える、わし顔まけした、腐った、あいつ腐ってゐたヨ、憂鬱だヨ、転向、清算する、過去を清算する、しけている、ダンチだ、タイアップ」

共産党指導者佐野、鍋山は前年6月に獄中転向し他党員にも波及した。

2月24日、「古本屋の広告文 我等ノ連合軍ハ満ヲ持スコト茲ニ数旬戦機熟シテ神楽坂ノ陣地ニ新蒐集品ノ砲列ヲ布キ文献資料ノ巨弾ヲ擁シテ一大展覧ノ肉弾戦ヲ開催ス勝敗ハ一ニ顧客ノ応援如何ニアリ振テ御観戦アランコトヲ (欄外に)乱世の状況コノ広告ヲ見テ思知ル可シ可嘆可嘆」

2月27日、なじみの私娼から電話があって会う。「売笑の稼業にも飽きたればしばらく故里に還り養生するつもりなりと云う。田舎にかえりてそのままいつまでも辛抱していられるかと問いて見しに、実はこの一二年商売が面白くてたまらぬなり。数知れぬお客の中には床上手な人も少なからず。ついつい淫楽に耽り今ではどうやら身体がつづかぬような心持ゆえ、ひとまず茨城県の田舎にかえり養生するつもりになりしと云う。余いろいろに言慰め田舎にかえる事は思い止まるようにしたり。この女実に稀代の淫婦にて男二人を左右にねかし交るがわるにその身を弄ばせてよろこぶ事などあり。年は二十七八なるべし。本名は秘して語らず。・・大地震前後高島屋または三越の店員なりし由なり。」