胡慧中

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胡慧中はもともと林青霞の後継者と目されて文芸片に出ていたので、根っから武侠の人というわけではない。芸能活動のかたわら台湾大学の夜間部を卒業しているから非凡なのだろう。履歴もなにかと過剰なものが感じられる。
しかし80年代に文芸映画は衰退し、林青霞も一時引退してしまった。そこで胡慧中は動作片に転じたが武術や舞踊の基礎はない。大柄で動けたので見栄えがするけれど替身が多く、李賽鳳のようなはなばなしい打撃戦は演じていない。警花片では石原裕次郎のようなボス的役回りだった。

それでも武打星のひとりにあげるべきなのは、この分野の前提である受苦を体現しているからだ。功夫武侠映画は作り物とはいっても、基本的に危ないし痛い。
その中で最大の事故と呼ばれるのが「猟魔群英」(1989)での爆発炎上だ。この事件では李賽鳳も被傷しているが、胡慧中がもっとも重かった。

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場面は映画のラストで、悪の呉鎮宇が自爆してめでたしになるところだった。しかし目がイッてる呉鎮宇だからハッピーエンドを許してくれなかった。
本来は、三人が窓から飛び出したあとに点火スウィッチが入るはずだった。実際は男優が最初に跳んだところで係が爆発させてしまい、動画のような事態になった。最後に落ちた胡慧中は完全に火に包まれている。こういうところでは替身を使わないのが香港映画らしくもある。李賽鳳の回想では、着地して手先を見たところ「廣東茶樓の鶏足の炒め物」みたいになっていたという。
比較すれば軽度だった李賽鳳でも写真のような悲愴な容態だったが、ふたりとも日をおいて現場に復帰している。
ひどいことに製作者は、この事故場面を成龍作品でお約束のNG集みたいに劇終で利用し売り物にした。「映画は狂気の旅である」(今村昌平)とはいっても、この時代の香港映画は行き過ぎだ。

 

胡慧中の過剰なエピソードのひとつに、実は甄嬛伝孫儷の親戚だというのがある。事情はややこしいが、どうやらお祖母ちゃんにあたるらしい。