タマーシャー

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Sangtye Aika (1959) 大詰めのハンサー・ワードカルとジャイシュリー・ガドカル。

 

タマーシャーTamasha の一座はwikiによれば2002年に 450あり、10,000人の演者がいるという。想像以上に盛況だが、常打ちは18-20とされる。

ドキュメンタリー Tamasha - Ek Gavran Gammat は Kantabai 母子のテント芝居一座に取材したもの。マハーラーシュトラ農民に笑みがこぼれるのは二度だけ、刈り入れの時期、タマーシャー一座が村に来たとき、とある。幕開けのガネーシャ招請、クリシュナの誘惑をめぐる踊り、風刺コント、ジャーンスィーのラーニーの劇を柱とした公演のあいまに演者たちの語りがはさまる。ここは社会的メッセージをもった一座のようだ。

 

独立前に作られた演目「ロバの結婚」Gadhavache Lagna は農村、天宮、王宮を舞台とするが、現今のタマーシャーは神様色がない。異種婚は伝統的な雨乞い儀式でもある。

 

スタイルはいろいろで、音楽ショー、ちゃんとした脚本のある芝居、歌と踊り入りの軽喜劇、暴力的で下品なコントのようなものなど一座によってさまざま。舞台も劇場だけでなく野外劇もある。

wikiの記述では、かつてはブレヒトを原作とした作品もあり、時代によって改革主義からマハーラーシュトラ排外主義まで左右の政治色をもつようだ。

 

テルグ圏のヤクシャガーナムにも似ている。向こうは神様が主役でタマーシャーは世俗的だが、ゆるい即興芝居であることや、女形が出てくるところに共通点がある。男だけで演じていた時代の名残なのだろう。女形natchyaはkinnarと呼ばれるヒジュラー同様の第三の性(インドは公式に三つの性を認めている)に属するとされるが、ヤクシャガーナムの場合はどうなのだろう。

 

実演芸術は観客として一期一会の場に身を置かないとはじまらないが、タマーシャー映画なら精髄の一部を味わえる。この開幕場面 など高揚感が伝わってくる。

Natrang の一座は踊り子、女形、ドールキーdhorki、一弦琴ek tara 、ハルモニウム、小シンバルmanjira、の10人くらいで構成されていた。タマーシャー映画でもこの編成が多い。最近は数十人のおおがかりなものもある。

 

Lokshahir Ram Joshi (民衆詩人ラーム・ジョーシー 1947)の大ヒットで今日にいたるタマーシャー映画の原型が作られたといわれる。タマーシャーに入れあげてカーストを追放されたバラモンの主人公がハンサー・ワードカルHansa Wadkar の踊り子と結婚し一座をひきいる話だ。
ここではダンスより歌問答(Sawaal Jawab)が売り物になっている。一座の編成はNatrangとほぼ同じだ。
Sawaal Jawab はタマーシャー映画によく出てくるので人気場面のようだ。機知にとんだやりとりで物語や踊り子の運命が左右されるのが見せ場だが、言葉の問題で面白みはあまりわからない。

主演のハンサー・ワードカルは父親が裕福なタワーイフ、母親がデーヴァダースィーの家系に生まれた。後に貧窮して家計のため女優の伯母のいる映画界に入った。率直な自伝Sangtye Aika (You Ask, I Tell)を残し、日本公開された「ミュージカル女優」( Bhumika 1977)のモデルとされる。

 

ハンサーの自伝タイトルになったタマーシャー映画の代表作 Sangtye Aika (1959)でも、女形がトライアングルをもっている以外は座の編成は同一だ。ハンサーに村のクリシュナがからんでいる。ここから二代にわたる愛と復讐のラーヴァニーダンサーの物語が始まる。
娘役が ジャイシュリー・ガドカルJayshree Gadkar で、子役として映画界入りしバックダンサーとして育ち、これが初の大役だった。のちに250本以上に出演し、マラーティー映画歴代トップ女優となる。歌はアーシャー・ボースレーで、マンゲーシュカル姉妹はマラーティー映画からキャリアを始め、以後もプレイバックを多くこなしている。

 

Bai Mee Bholi (1967)でのジャイシュリーと、やはり人気女優だったらしい Madhu Apte(? たぶん)の 歌問答Sawaal Jawab の一幕。Aika「聞いて!」の掛け声が入る。男女のカッワーリー合戦がそうであるように、一座同士で対抗する歌問答はスクリーン上だけのファンタジーだろうが、 Sawaal Jawab の長丁場はタマーシャー映画に欠かせない。

 

ジャイシュリーは「B級トップダンサー」として記事で紹介したラクシュミー・チャーイヤーLaxmi Chhaya と84年に共演している。ラクシュミーはやはりケタ違いに踊りが上手い。
ジャイシュリーは椅子に座っているだけで、パーン食ってる場合じゃないといいたいところだが、長い芸歴の終盤なのでしかたない。

 

ジャイシュリー映画の女形はこの役の代名詞ともいわれたガンパット・パーティールGanpat Patil 。Natrang でのアトゥル・クルカルニーの祖型にあたる。さまざまなタマーシャー映画に登場して、特徴ある顔立ちなので一目でわかる。natchyaとして主演した映画もあり、そこではアーユルヴェーダで治療して(いいのか)結婚をする役どころだった。実生活でも役回りのせいで子供の縁組などで苦労したらしい。

 

76年の Pinjra は Jhanak Jhanak Payal Baje の V.Shantaram 監督作品だが、ディートリッヒの「嘆きの天使」をタマーシャー一座に置き換えたもの。ガンパットはnatchya役に指名されたが、先の唯一の主演映画と重なり辞退している。
牛車ゆるゆると歩む一座
男優のシュリーラーム・ラーグーShriram Lagoo とニルー・フレーNilu Phule が名演で、こののちのマラーティー映画を牽引していく。
運命のいたずらで一座に身を寄せた厳格なバラモンの教師が、カーストの掟をやぶり共食する場面

 

ラーヴァニーで紹介したリラー・ガーンディーLeela Gandhi(映画タイトルではリラー、wikiではリーラー लीला गांधी )はダンサーから振付師にもなった芸歴の長い人で、やはり子供時代から映画で踊っている。出身の村にはラーヴァニーのカリキュラムがあったとあるので、タマーシャーのコミュニティーだったのかも知れない。ダンスはこの人がいちばんうまい。Sushila (1978) を見ると踊りになっていない動きがない。ホクロはたぶん付けボクロで、作品によって消えたりする。おばさんになってからもタイトルはトップになった。

 

Aai (母 1981)はウシャー・ナーイクUsha Naik 主演のタマーシャー映画だが、冒頭でリラーが踊っている。席に座るラーニー・ムカルジー似の少女がウシャー。
ウシャーはジャイシュリーと同じくカルナータカ北境の出身で、子供のころから古典を習い、家貧しく早くからバックダンサーとして映画界入りした。(インタヴュー 

 

Hardi Kunk (1979)。インド映画でおなじみ、ダンスと並行して車が走るが、おそろしくモンタージュが下手だ。マラーティー映画はダンス場面のカメラ移動とかカット割りをする余裕がないかわりにダンサーの引きの映像とクローズアップでの転換が多く、Natrang で踏襲されていた。
ウシャーは2006年の Natle Mi Tumchyasathi でも達者なところを見せ、リラー同様に息が長かった。

 

Ek Hota Vidushak (ある道化 1992)でウシャー・ナーイクのかたわらで歌うマドゥー・カーンビーカルMadhu Kambikar は、タマーシャーを担ってきた Kolhathi コミュニティーの出身で、タマーシャー演者だった父の後を追ってこの世界に入った。

Ek Hota Vidushak はマードゥリーとよく共演したラクシュミーカーント・ベールデーLaxmikant Berde がマドゥー・カーンビーカルの母とタマーシャー一座をすて、90年代トップ女優のヴァルシャー・ウスガーオンカルVarsha Usgaonkar を追って映画界入りする話だった。

 

おまけ。ラーヴァニーダンサーのサーリーおよび着付け参考映像。こういうものはロープ結びとおなじで、やってみないとわからない。股で絞るスタイルの実際は理解できた。安全ピンや輪ゴムを遠慮なく使っているのは発見だ。

 

京都大学助教の飯田玲子がタマーシャーのフィールドワークを行っているが、刊行本はまだない。(2020年3月にインドにおける大衆芸能と都市文化が出版された)