早期のワヒーダー

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「こめかみはまだ桂冠に冷たすぎて」

 

ワヒーダーは1955年テルグ映画のRojulu Marayi で銀幕登場し、56年のタミル・リメイクである Kaalam Maari Pochu でも同じ曲で踊っている。テルグではANRが主役だったが、ここではジェミニ・ガネーサンだ。隣にいるのはアンジャリーデーヴィAnjali Devi 。
ワーヒーダーの撮りかたは、あきらかに表情のクローズアップが多くなり、あつかいに変化が生じている。両作が同時撮影との記事はまちがい。

 

1955年には第二作としてテルグ映画 Jayasimha にヒロインの姫役で抜擢され、NTRの恋人をつとめている。とはいってもほんとの主役は、エポニーヌのような失恋する役回りを表情豊かに演じているアンジャリーデーヴィのほうだった。ワヒーダーは過剰なコケットリーと険悪な顔の落差に可能性が表れている。

Jayasimha の NTR はバーフバリのような世継ぎの王子だが、弱っちくて盗賊にはやっつけられ、簡単に誘拐され、敵と戦ってもすぐ捕まってしまうレヴェル1の勇者だった。恋のさやあてのドラマの末に、結局ラスボスのRanga Raoも自分では倒せないままワヒーダー姫と結ばれる。超人大行進で「全部ラミヤーが悪い」バーフバリとはえらい違いだが当時は大ヒットした。

 

翌年、1956年のタミル映画 Alibabavum 40 Thirudargalum  ではダンサーとしてMGRに呼ばれている。平板なカラー撮影で口紅も濃く、アメリカンなミュージカル俳優みたいだ。「ワヒーダーは白黒だと神だが、カラーだと人間になる。」と後に評されたように、ワヒーダーの魅力は表情の陰影にある。

「典型的ムスリム・ビューティー」といわれたらしいが、どこが典型なのかよくわからないままだった。 たしかにヘッダーに掲げたムガル細密画の踊り子にそっくりなのだが。


今の言葉で考えると「シュッとしている」ということか。
ネイティヴでないので「シュッ」の語感もほんとはよくわからないけれど、反対語は「コテコテ」だとのネット説明があった。「もっさり」、「ださい」なども反義語としてあげられている。たしかにワヒーダーはその対極にいるだろう。
南インドで人気が出るのはアンジャリーデーヴィやサーヴィトリのような福相だから、北に足を向けたのは正解だったようだ。

 

Rojulu Marayi のヒット祝賀会でワヒーダーを見初めたグル・ダットは1956年の C.I.D に起用した。監督のラージ・コースラーは藁ぶき屋根の下で楽し気に、しかしちょっと過剰な表情で踊っていた少女から見事にヴァンプを引き出した。小松菜奈みたいに人相の悪いヒロインだ。
そのコースラーもグル・ダットが「渇き」で掘りあてた超絶的な表情を見て、「何でこれが撮れたんだ」と悔しがったといわれる。光の加減で野際陽子になってしまうのは愛嬌だが。

 

「渇き」の成功のあと「大ヒットになる」と嬉々として「紙の花」を撮影していたダットたちを、「当たりっこない」と冷ややかに見ていたという。たしかに「渇き」の価値はワヒーダーにあったのだから、よほど頭が涼しく心の強い人なのだろう。