盤腸大戦

f:id:moonleex:20220301001818p:plain

陳星

 

功夫映画は一家、一族、一村、一門を皆殺しにされ生き残った未熟な若者が、鍛錬学習して強くなり報復する筋立てが多くとても実用主義的なものだ。

勇気、悲しみ、怒り、嫌悪、恐れはあってもエロの発生する余地などなさそうだが、男の裸という中国映画史上見られなかった表現が画期的だった。

 

 

f:id:moonleex:20220301001912j:plain

画像は焼けた砂に拳を入れて鍛える鉄砂掌。

 

その皮切りとなったのは現代功夫映画の端緒でもある1970年の龍虎鬥で、元水泳選手の王羽がきたえられた肉体を披露した。

 

 

f:id:moonleex:20220302084340j:plain

王羽はいろいろなアイデアの開発者だ。

 

それ以前の功夫武侠映画はもっと行儀のよいのどかなものだった。儒教の影響で裸体を見せるようなことは、礼に反する野蛮な行為とされたからだ。主人公も女性や老人だった。しかし60年代に隆盛をほこった粵語片は粗製乱造で衰退し、殺伐としたヴィエトナム戦争を背景に王羽の新しい波が興った。

 

 

f:id:moonleex:20220301001937j:plain

 

王羽につづいて李小龍が1971年に唐山大兄を大ヒットさせ、70年代功夫映画の流行を決定づけた。

 

 

f:id:moonleex:20220302084459j:plain

林正英は唐山大兄の武師として李小龍に出会った。

 

以降の武打星は鍛えられた肉体を誇示したが、画になる明星はそれほどいない。ことに劇団員あがりの武師たちは身軽で実用的な身体の所持者で、見せるための筋肉を付けていたわけではなかった。

 

 

f:id:moonleex:20220301220849j:plain

狄龍

 

 

f:id:moonleex:20220301221028j:plain

傅聲

 

 

f:id:moonleex:20220301221207j:plain

孟飛

 

 

功夫映画の肉体表現の極致が、盤腸大戦と呼ばれるものだ。

 

www.youtube.com

 

太平橋は京劇の演目のひとつで、十三太保と呼ばれる李克用の十三人の息子たちのひとり史敬思が奮戦し死ぬ一幕だ。

このはみ出る腸をおさえて戦うさまを盤腸大戦と呼び、むかしから小説戯曲の題材とされてきた。盤はとぐろを巻いたさまをあらわす。

映像は福建省に発した台湾の葉如琪歌劇團の舞台で、現代的に血まみれ衣装だ。映画の影響だろう。

 

f:id:moonleex:20220227222251j:plain

崑劇の盤腸大戦である界牌関では赤い布を巻く演出で、赤帯を垂らすだけのこともありそれが本来の型のようだ。

 

70年代功夫映画でも盤腸大戦はたびたびとりあげられてきた。

主人公がたんに強さを見せつけ勝利するのではなく、敵に腹を裂かれ飛び出すはらわたを帯でおさえ獅子奮迅の闘いを展開し最後は息たえる。こうしてはじめて勧善懲悪の予定調和をこえ融合した情感が湧いてくる。

 

 

f:id:moonleex:20220301222135j:plain

陳觀泰

 

陳觀泰は馬永貞  (1972) で単身敵地に乗りこみ闘死する。

 

 

f:id:moonleex:20220301224952j:plain

洪拳小子 (1975)

 

馮克安のだまし討ちで腹を刺された傅聲は、晒で腸をおさえ白装束に着替えて死地におもむく。

 

 

f:id:moonleex:20220301225433j:plain

小拳王 (1972)

 

孟飛は倉田保昭にとどめをさされる。小拳王記事

 

狄龍も報仇 (1970) で惨殺されている。

 

盤腸大戦といっても、実際にはらわたが飛び出るわけではない。はみだすものをおさえるから見るにたえるので、腸は腹中でとぐろを巻き脳髄は頭蓋にとどまっているほうがよい。広瀬アリスのような臓物好きや、膵臓を食べたい人もいるが。

 

f:id:moonleex:20220302072748p:plain

 

 

すでにあった冷戦が熱戦となりNATO対ロシア、欧米対中国の別個の対峙が東西冷戦として固まりつつある。つぎは東西熱戦だろう。

これを回避するために東西親善で運動会を開いたりすればいいと思うが、もうやっているか。

西側根性とは無縁でいたいし、座標は自分できめたい。非同盟の立場からいえば、東西は栄華を競うのがよい。