原節子の「東京の女性」

 

東京の女性(着色版もある)は真珠湾の2年前、1939年の作品だ。原は大手自動車販売会社のタイピストで、社はビュイックなどを売っている。映画の中では、ゼネラルモータースのネオンサインが見える。都心にある社内はモダンで、社員は洋装かなりおしゃれだ。

 

谷崎の疎開を追っていて、中で出てくる円の価値が気になっていた。とりあえず日銀資料に準拠して1円=2000円で計算しているが、つじつまのあわないことも多い。トマトが5円とか。

「東京の女性」では、原の給料は75円あたりと見積もられている。英文タイピストでもこのときの原は19才だから、2000円換算で給与が15万円なら妥当だろう。ただ1939年なら円はもっと高い。

 

原の実家は表具店だったが、父親が相場に手を出して失敗し失業中だ。姉妹で同じ会社に勤務して家計を支えている。プライドは高いがクズな父親は、原を妾に出してその金でまた店をもとうとしている。反対する妻には暴力をふるう。

その手付金が3000円=600万円で、くわえて月々手当が出る契約だ。

 

原は母を一時逃がし、自分たちもあとから家を出ることにする。すると父親はさらに自暴自棄になり、大けがを負ってしまう。入院した父は手術が必要で、大金がいることになる。

 

過去に原はタイピストながら、縁故で車を売ることに成功していた。しかしそのコミッションとして当然得られる400円を、中抜きされて100円しかもらえないことがあった。そのとき助けてくれた営業マンに、自分も車の営業をしたいと打ち明ける。

運転から製造工程まで精通していなければいけない、女としてあらゆる嫌なおもいを覚悟しなければいけないと反対される。結局は熱意に負けて、男は手助けすることになる。顔を油で真っ黒にして工場にかよい、車の下にもぐりこむ原節子

 

ここらへんから話はキナくさくなる。国家総動員法が1938年施行、産業報国会の成立は1940年だ。1936年「新しき土」でファシズムのアイコンとして地位を確立した原は、戦後デモクラシーの広告塔として人気を得ることになる。義兄がゴリゴリの陰謀論者で戦中は感化された気配はあるが、のち民主主義に着地した。「わが青春に悔いなし」では、お嬢様から田植えする農民運動家に変身した。

この映画では産業戦士の役割を担っている。内面はともかくひとえに女優として大柄で見栄えがいいからだが、障害を越えてやり手の営業ウーマンに成長していく原はモダンで格好いい。

 

 

ビウイクはビュイックの戦前表記

 

原は営業の活路を代燃車に見出す。木炭車のことだ。石油資源に乏しい欧州で生まれ、1937年日中戦争突入で民間の燃料に不足するようになった日本でも苦肉の策として採用された。燃して出る一酸化炭素と水素で走る、戦前の水素エンジン車だ。石油制裁で行きづまった日本は、結局開戦するのだが。

 

営業マンたちの嫉妬を尻目に、原はナンバーワンの地位を手に入れる。映画の表層では語られないが、戦時体制構築の女性旗手になっていく。

変種の時局映画であっても、外資の広告や英会話スクールの看板が映し出されるのは監督の隠れた意思表示か。

しかしひそかに思いあってきた親切な営業マンは、やがて原の妹に心を移していくことになる。妹役の江波和子は江波杏子の母で、好演している。

 

小説が原作で話がきちんとまとまり、時間が短いせいもあって見やすい作品となっている。原は無理に高い声を出しているようで悪声に聞こえ、そんなところからかつては大根と呼ばれたのだろう。若いので表情も出来上がっていない。しかし戦後の落ち着いたアルトで語るようになった「お嬢さん乾杯」や「白痴」の演技、存在感は忘れがたい無二のものだ。