インド映画でいちばんこわいのは、隣人が突然群衆で鎌をもって追いかけてくる状況だ。切り抜ける自信がない。
敷居が高い
近年もっとも愛すべき作品の「Maryada Ramannaあなたがいてこそ」(2010)がキートンの Our Hospitality (1923)を継承しているのは、「家から出たら殺される」設定だけではない。
自転車
1817年にLaufmaschine走る機械として発明され、1860年代にペダル走行が開発されるまでは文字通り走るだけのものだった。Maryada Ramanna ではしゃべる知能をそなえている。
Our Hospitality の設定は1830年で、この年米国で蒸気機関車の営業運転が開始された。1829年製造のロケット号は輸入されていないが、映画ではデザインの面白さから採用された。
ラーヤラスィーマ
アーンドラ・プラデーシュ州南部の同地は仁義なき修羅の国あつかいされているが、前世紀の映画のなかのインドはどこでもそんな感じだったと思う。Maryada Ramanna は各州で再製作されているので、場所を限定する必要はないのだろう。
Our Hospitality も土地の指定はないが、
ケンタッキーとウェスト・ヴァージニアが舞台の Hatfield–McCoy家の抗争がモデルになっている。争いは南北戦争後から19世紀末まで続いたが、機関車のつごうで映画は1830年にさかのぼっている。
19世紀末の Hatfield家
Our Hospitality 登場人物の見た目が南部の奴隷農場主なのは、同抗争を小説に取り入れた「ハックルベリー・フィンの冒険」(1884)の影響があるだろう。1840年代が舞台の同作品では、(ハックルベリーから見れば)立派なジェントルマンたちが、意味なく起源もわからず殺し合いしている設定になっている。
Hatfield–McCoy家はwikiでヒルビリーの典型とされている。密造酒業者で、争闘のきっかけは豚の所属をめぐってだった。まずしい山の民だったのだろう。
実際の両家でも若者同士の恋愛があったが、なりゆきはもっと散文的だ。女は妊娠して捨てられ、男は女の従姉妹に鞍がえした。