ワヒーダー登場

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1955年のテルグ映画Rojulu Marayi(英wiki)のこのダンスシーン でワヒーダー・レハマーンవహీదా రెహమాన్としてスクリーンに初めて姿をあらわした。

ダフ太鼓がテルグ映画に登場したのもこのときだったという。歌われたEruvaka Sagaroo Rannoo Chinnanannaはコメント欄によれば農村改革の歌で、長らく人気があったとのことだ。

これを見たグル・ダットはワヒーダーをボンベイに呼び、清楚な農村の踊り子はC.I.D(1956)でヴァンプとしてヒンディー圏に登場し、さらに「渇き」Pyaasa(1957)に不朽の場面を残すこととなった。

旧パドミニチューブにはワヒーダーの父を軍人として紹介した(昔のテキストではそうだった)が、最新のインタヴュー本では高級官僚(I.A.S officer)だったようだ。また学業を中断した理由は肺疾患でなく喘息だった。