ヘレン

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 piya tu ab to aaja Caravan(1971)
別名キャバレークイーン。毒蛾のような化粧で現れるヘレンを、あなたは最後に大好きになっているだろう。(ヒンディー映画、以下同)

mera naam Chin Chin Chu  Howrah Bridge(1958)
ヘレン最初のヒット・ナンバル。チン・チン・チュという中国人に扮して踊る。HQ版

mehbooba mebhooba  Sholay「炎」(1975)
ヒンディー映画歴代人気No.1作品中の有名ナンバー。メブーバは「最愛の人」の意。

hai pyar ka hi naam Ra Sa Shingapore(1960)
ハツラツと楽しそうに踊っているダンサーがいたら、それはヘレン。インドネシア民謡「ラサ・サーヤンゲ(愛のラサ)」の変奏曲。

main albeli pyar Shikar(1968)
ヘレンの動きは、遠くからでもすぐわかる。南の古典ダンサーにない、足に羽が生えた感じ(あるいは地に足がついてない)なのがヘレン・ダンス。アーシャー・パーレーク共演。

nikele the kahan Bahu begum(1967)
ウムラーオ・ジャーンと同じラクナウーのタワーイフの世界。カッタクから生まれたムジュラーMujraを踊る。白いサーリーはミーナー・クマーリーMeena Kumari。

tumko piya dil diya Shikari(1963)
パドミニ妹のラーギニと競演。意地の火花が散っている。O.P.Nayyar の名曲。

 

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ヘレン Helen

39年、旧ビルマでフランス人の父とスペイン系ビルマ人の母のあいだに生まれ、日本軍のビルマ侵攻にともないインドに難民として逃れた。
家計を助けるため51年にバックダンサーとして映画界入り。身につけていたカッタクのおかげで、すぐに頭角をあらわしソロダンサーになり、Howrah Bridge(1958)の mera naam Chin Chin Chuでブレイクした。

しかしその後、回ってくるのはアホみたいなキャバレーナンバーの数々、ブロンドのカツラをつけヒールをはき洋物ダンスを踊るヴァンプ人生を歩むこととなった。
「街に出るとみんな自分を見てバーサク状態go berserkになるので、ベールなしに歩けなかった。」という。

しかし、そこに活路を見い出したヘレンは、今日映画祭で「ヘレン・ダンス」コンペティションが行われる伝説のダンサーとなった。別名ナウチガールNautch girl(ナウチ=「踊り」、naach)。

「これでインディア」06年4月の日記にヘレンの伝記の紹介がある。