マードゥリーのダンスを語る上で避けて通れないのが、古典の素養やアビナヤだけでなく、ジャタックス・マタックスjhataks mataks と呼ばれるインド映画ダンス特有のテクニックだ。これは隠語のようなもので、よく使われるのにネットサーチしてもほとんど有効な説明が出てこない。jhatakは झटकでjerk、tweak(ひねる、反射的にうごく)に相当するようだが、matakがわからない。
デヴュー当時にさかのぼると、17才の「マードゥリー」(姓はなし)は84年にAvodh(無垢)で清純派として売り出したもののさっぱりだった。アニル・カプールによれば、現場の人間たちはガリガリの新人にみながっかりしていたという。インド女優に求められていたグラマラスな魅力が、まったく欠けていたからだ。
それからの四年間は鳴かず飛ばずで、Tezhaabで共演することになったアニルは、マードゥリーにキャバレーナンバーのようなダンスはできないのではと危ぶんでいた。Tezhaabは「ストリート・オブ・ファイヤー」の翻案で、マードゥリーの役はダイアン・レインの演じたロックシンガーに相当する。
しかし同作はただちに大ヒットとなり、そこから今日にいたるキャリアが開始された。空港でサインを求められ、初めて無名ではなくなったことを実感したという。
大評判となったek do teenには、ミーナークシー・シェーシャードゥリの嘆きのタワーイフの踊りやシュリーデーヴィーのパワーダンスとは違う清新さがあったのではと思う。ek do teenはマハーラーシュトラ民謡のロック・ヴァージョンで、「一、二、三」という歌いだしは後に子供の算数の教材にもなったという。マードゥリーはもうやせっぽちでなく、ほどよく上品に女の子らしい魅力を発散している。キャバレーダンスと違って女性観客にも踊りやすかっただろう。つまりこれは、アイドルとか萌えのジャンルにインド映画界が足を踏みこんだ記念碑だったのではないだろうか。
Sangeet( ‘92)
そこからまた脱兎のように変貌を遂げていくのだが、どんなにセクシーなダンスを踊っても マードゥリーは 下品vulgarにならないとの定評がある。それは中肉中背、当時のインド映画基準でいえばスリムな体型が踊りのキレを生み、また表情、手先、指先にいたる多彩な表現が重層的な味わいをかもしだしているからだ。マードゥリーの踊りはエロいといえばエロいが、印度五千年の時間を感じさせるものがある。
インド映画ダンスのエロス誘発技術をジャタックス&マタックスと呼ぶ。古典理論に拠ればシュリンガーラのラサ、愛の香気を導くアビナヤだ。
上はSwarnakamalam のバーヌプリヤだが、中国でいえば金蓮歩に相当する万国共通の技だ。古典の足運びが映画的に誇張されている。
あるいはDil se のマライカー・アローラー
マードゥリーならおなじみのこれ
とか、これ(ベリーダンスが入っているが)
とか、これ
近作では、gagra
これらをジャタックス&マタックスの例としてあげることができるだろう。
この ジャタックス&マタックスを日本語ならなんと訳したらいいかわからなかったのだが、ある夏ヒンディー語の無料セミナーに通う機会があった。講師は南インド出身の若い女性だった。思い切って 「映画に出てくるjhataks mataksとはどのようなものでしょう。」とたずねてみた。すると先生は、微笑みながら予想通りというか、期待通りにフリフリ、クネクネとやって見せてくれたのだった。
だから jhataks mataksの訳語はフリフリ・クネクネがいいだろう。