荷風マイナス・ゼロ (46)

 

昭和12年(1937)8月11日に上海事変がはじまり日中全面戦争となったあと、中国駐屯軍が北支方面軍へと編成された。そのとき司令官となったのは、中学時代同級で荷風をいじめていた寺内寿一だった。その後昭和16年南方軍総司令官となり、日本降伏後に病没している。そのため軍事裁判にはかけられなかったので、戦犯として記憶されることはなかった。インパール作戦を認可したり、寺内・愚将で検索するといろいろ悪評が出てくる。

 

国立国会図書館デジタルコレクションに、昭和13年発刊された「大将の少年時代」という軍人の伝記をまとめた書籍がおさめられている。そのなかに寺内の少年時代の項目がある。そこでは荷風は文学少年で本ばかり読み、髪を長くしていたので制裁をくわえたと語られている。「常に小説本などを懐中し、髪もこれを長くのばしてゐましたが、これが剛毅の寿一少年には甚だ面白くなかったのです。」(同書)

 

 

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参考までに、チューブで一週間前にこんなクリップがupされていた。内容についてはまだ検討中で評価できない。