ウイグルの踊りを見ていたら「偉大なムガル」Mughal-e-Azam の pyar kiya to darna kya によく似ていた。
旋回や上体をそらす所作に特徴があり、ヒロインにちなんだアナールカリー帽Anarkali capと呼ばれる羽根付帽子や衣装が共通する。
違うところは音楽と、足元がヒールのある靴履きであること、長いスカートをつまむ所作だ。「偉大なムガル」のマドゥバーラーはインド風に素足で足首の鈴を鳴らしていた。ウイグル音楽にはアラブのマカームに由来するムカームMuquamという旋法があり、どことなくアラブ風だ。pyar kiya to darna kya ではインドのラーガとドゥルパドが使われている。
いくつかウイグルダンスを紹介する。
Uyghur dance. 1959 (China Ethnic Minority Dance)
Irada.Uyghur dance
Uyghur Dance (Ayem)
Uyghur Dance (1972)
Uyghur Dance 1988 Noruz - قىزىل گۈل
Uyghur dance (a nice solo dance)Rena Abdukerim热娜阿布都克力木
Uyghur Dance by Pasha Umer
Uyghur folk dance (Mirajikhan)
やはりムガルの踊り子と共通点があると思うが、これだけからの類推では弱い。雲南タイ族の孔雀舞も頭に羽飾りを付け、靴履きで長いスカートをつまんで旋回する。(雲南回族にはいつか立ち寄りたい。)
ウイグルの側ではインドの踊りとの類似は意識されていて、北インドの旋回ダンスであるカッタクの起源はウイグルだとの主張がいくつかのダンスクリップでなされている。
インド人は「起源」に引っかかるようでカッタクKathakはカタカールKathakar、語り部に由来するもので、南ではカタカリKathakaliにもなったインド固有のものだと反論する人たちがいた。
似すぎているのと比較対象の一方が映画であるため、むしろインド映画史でいまだに歴代換算興収一位の「偉大なムガル」に寄せたのではないかとも考えたが、1930年代のウイグルダンスの記録映画でも同じ衣装で同じ所作をしている。
カッタクはたしかにインド起源で、バラタナーティヤムなどと同じく宗教儀式に踊りの根がある。しかし16世紀からのムガル支配により世俗的な宮廷の娯楽となり、振付も外来種の旋回舞でありインド舞踊としては特異な存在だ。
ムガルの踊り子
ムガルはモンゴルと称されてはいるが、 テュルク系のティムール朝末裔でフェルガーナやサマルカンドの君主だったバーブルが始祖だった。母方がチンギスゆかりのモンゴル貴族にあたる。
バーブルはこの時代第一級の文人で理性の人であると同時に、祖法にならって敵の首塚を築くような征服者だった。インドに来るまでの半生は失敗続きの冒険家であり、オスマンにならった銃火器を用いた戦術で北インドのイスラーム王朝やラージプートを打ち破りムガルの基礎を築いた。それは騎馬戦術の終焉、古代の黄昏のはじまりでもあったのだが。
ウイグルもテュルクの一脈であり、ムガルとウイグルの踊りはユーラシアの胡旋舞の系列に属するのだろう。