胡旋舞

f:id:moonleex:20190701233804g:plain

これは「 空海 KU-KAI 」の一場面で、映画的に再現された想像上の胡旋舞。

 

胡旋舞は近年の言葉で、唐時代は単に胡旋、それを踊る女性を胡旋女と呼んだ。イーラーン系ソグド人の拠地ソグディアナ、唐名は康国(サマルカンド)から連れてこられた奴隷だ。パミール高原の反対側、現ウイグルのオアシス国家の踊り子たちもいただろう。胡旋女は足元に円い小さな絨毯をおき、旋回してそこから外れることがなかったという。

白居易に「胡旋女」の詩がある。

胡旋女 胡旋女   

心應弦 手應鼓 

弦鼓一聲雙袖舉 回雪飄搖轉蓬舞

左旋右轉不知疲 千匝萬周無已時

人間物類無可比 奔車輪緩旋風遲

 

白氏らしく胡旋の魅力が簡明に描かれている。
ただしそのおかげでソグド人安禄山の叛乱を招いたから禁止しようと落ちがつくのだが。「胡旋女」では安禄山楊貴妃も胡旋を踊ったとされている。

廃話:安禄山はアン・ローシャンでヒンディ映画のリティクやラーケーシュと同じローシャンरोशन(illuminating)だ。

 

image


ネットでは今に残る胡旋女の絵画や像は見あたらない。敦煌壁画は飛天アプサラーの舞姿で、衣装や人物にイーラーン系の特徴はない。足元に置かれた円形の絨毯だけが面影をしのばせる。唐三彩の踊り子は顔や肉付きが漢族で、翻す長い袖だけ往時はこうもあったかと思わせる。

 

胡旋が唐人に熱狂的に愛好されたのは、旋回が呼び寄せる騎馬の快速感が漢人農耕社会のリズムを凌駕したからではないか。女性的な軟舞に対し健舞と呼ばれる激しい踊りだったようだ。 また漢以降の五胡十六国、隋、唐と連なる華北遊牧民支配層の嗜好にもかなうものだったろう。唐が国際主義国家だったのは、その非漢族的出自にもよる。五胡十六国南北朝時代儒教から仏教国家への劇的転換があったのも同じ背景があってのことだ。

 

飛躍すれば、ヴェーダ教やゾロアスター教の神薬ソーマ、ハオマは大麻に比定されると思うが、中央ユーラシアのドラッグ文化は儒教の礼楽を逸脱した陶酔をもたらしたとも想像する。先日、ソグディアナを西に抱くパミール高原の紀元前の墓地で大麻使用の痕跡が発掘されたばかりのところだ。