パーキスターンのウムラーオ・ジャーン

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レーカーのウムラーオ・ジャーン(1981)に先立つ72年に、パーキスターンでUmrao Jaan Adaが製作されている。主演はカッワーリー特集で紹介したラーニーRaniだった。

インドのものはレーカーの踊りだけが見せ場の地味な文芸映画だが、ラーニーのウムラーオはJo bacha thaなど見るとマサーラー映画のようで、スーパーヒットを記録している。
プレイバックシンガーは「マダム」ヌール・ジャハーン Noor Jahan 、男優はSuraiyya Bhopaliでも共演しているシャーヒド Shahid 。
パーキスターン映画のサーチは Pakistan Film Magazine (復活)が有用だ。

名前のあとにつくAdaは、ウムラーオの詩人としてのペンネームで、アダーは浮気者の意がある。ウルドゥ詩のガザルのスタイルでペンネームは重要であり、詩 の最後に名を読み込むことが通例だった。おそらく韻の部分と合わせ、イスラーム書道の手にかかると、すばらしい視覚効果が生じるのだろう。

詩人にしてダンサー、歌手、知識人、娼婦、これらの総合がウムラーオ・ジャーンというタワーイフだった。イギリス支配はこの混沌に目鼻をつけ、タワーイフは売春婦以外の何者かであることを許されなくなった。これと同じことは、デーヴァダーシーにも生じている。

(追記:これはバラモンについてもおなじで、chitpavan brahmins はbegger に分類されていた。ヴェーダを詠んでお金をもらっていれば、本来の意味での「乞食=こつじき」にはちがいない。このような分類は、要するに課税のためのものだったのだろう。)