車輪の上

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世界ロマ会議の旗は車輪の紋章で、南アジアから西のはてまで車に乗って移動し続けたロマの歴史を象徴している。遺伝学と言語学はロマのインド起源を定説としロマ組織もこれを採用しているが、いつ南アジア(おそらくパンジャーブ地方)を出立したかは5世紀から11世紀のあいだと定まっていない。425年にバグダードにあらわれたZottがロマだとすれば、これが他地域での最初の記録となる。

その後800年にトラキア、1323年クレタ、15世紀にはヨーロッパ各地に到達したといわれている。

 

中央ユーラシアの遊牧民は東から西への移動や侵略が通例だが、ロマの場合は歌舞音曲を生業とした漂泊という点が異なっている。第一次産業や二次産業でなく、占いや性労働をふくむサーヴィス産業で世を渡ってきた特異な性格をもっている。それが自由意思にもとづいたものか奴隷としてかも、記録がないのでわからない。

 

 

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ペリーヌ物語(1978)の原作である家なき娘 En famille は、ロバに引かれた車に乗って母子が19世紀パリに到着するところから始まっている。ふたりはベンガルのダカから、フランス北部にいる祖父をたずねて来たことになっている。旅のさなかに父をなくし、母もパリで死んでしまいペリーヌはひとりぽっちになる。

そこからさらに旅をつづけ大工場主の祖父のもとにたどり着くが、理由があって正体を明かせないままペリーヌは祖父の工場ではたらくことになる。

 

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母はアングロ・インディアンで、祖父の反対を押し切って結婚した亡き父とのあいだに生まれたのがペリーヌだった。望まれない子であることが、身元を明らかにできない理由だった。

母はふだんは洋装だが、旅の費用をかせぐためつづけてきた写真撮影のときだけサーリーを着て客の歓心をひいた。アニメは原作とちがってセルヴィアの旅からはじまっているので、道行きのあいだ何回かサーリーをまとった姿が見られる。

ロバが引く車に乗ってさびしくつらい道中がつづくだけのアニメだが、いまの子供たちはこういう作品をおとなしく観るだろうか。

 

アニメは何度目かの再放送をたまたま1回見ただけだが、その話が強く印象に残っていた。

旅のとちゅうで母親は、ペリーヌを車に残してある男の屋敷に入っていく。それから娘を待たせたまま、話の流れとしては不自然に感じるほど長いあいだ母はもどってこない。やがて母は屋敷から出てくる。

それだけのことだが、すでに心は汚れていたので母親は体を売って生計を立てていたのではないかと思った。すくなくとも制作者はそう解釈している、と。

 

ペリーヌ物語・売春でサーチしてもなにも出てこない。このことを確かめたくてtubeをさがすと、第11話がそうだった。男は館に住む男爵で、猟のあいだに撮った写真をとどけるためにペリーヌたちは立ち寄ったのだった。わけありげに思えた空白の時間は、記憶のままだった。母親が「お金をたくさんもらえた」のも、意味があると思えた。

 

コメント欄を読むとひとりだけおなじ感想をもった人がいて、下衆よばわりされていた。これについては返す言葉も下げる頭もない。また話の流れの不自然さは、たんに演出者が時間配分をあやまったこともありうる。