アブラール兄のイラン再訪 (3)

 

I WAS ARRESTED BY POLICE IN IRAN OVER A FAKE CASE |

この回はアブラール兄がマシュハドで拘束された件に、まるまる費やされている。参考にしてほしいとの意図だ。

主はカメラ使用には慎重で、許可なしに公共の場での撮影はひかえていた。だからイマーム・レザー廟でも同様で持ちこみすらしなかったのだが、建物から離れた場所でカメラを手にしていたところをポリスにとがめられた。

その場にはパーキスターン系イラン人の友と、あとから合流した網友がいた。主はいつもバイク搭乗服なので、目立っていたことだろう。パーキスターンとイラン人の区別がつくのかはわからないが、外国人として見られたはずだ。

ポリスの態度も攻撃的だったようだが、友人がドイツ人のVloggerであると釈明したことが結果的にはまずかったと思われる。そこで上部に連絡するから待てということになったのだが、1時間近く待たされることになった。

国境や他の場所でカメラやドローンでトラブルになったことがあったから、主は静かに控えていた。母国のバローチスターンで、プライヴァシーを侵害されたと村民たちに囲まれたエピソードはすでに紹介してある。(不謹慎だが、インド映画のように鎌をもった村人に追われる主の画が浮かんだ。)

しかし友人が短気な人で、責任感もあっただろうがポリスとあらそいを始めてしまった。しかもなぜか英語でまくしたてて。

この判断はわるくない、と主は語る。イラン人と外国人のコンビとしてより、外国人同士と思われたほうがプラスになるということだ。これまでもドイツ・パスポートが役に立ってきたという。イラン・ドイツ関係は、経済にかんしては密だ。

 

ところがイマーム・レザー廟の役人が、カメラ所持のまま入れていないと証言してくれたことでかえって事態はこじれる。廟の側としては責任を問われるから、そういわざるをえないだろう。おまけに他の部署のポリスも口を出してきたらしい。

しかしポリスにもメンツがあるし、主の友人とのいさかいで感情的になっていたのでパトカーに来いということになった。車の後部座席に乗せられ、現在拘束中だと告げられた。これは廟の人間や友人から切り離したかったからだろう。

 

ついでポリスは書類を書いて、サインをしろと迫った。主は当然にも、読めない書類にサインはできないと拒否した。文書の内容はわからない。これから気をつけます程度の、ポリスのメンツのためのものだったかもしれない。しかし逆で最悪もありうるし、サインしなかったことは正しい。それでも書類を書かれたことで、ものごとは役所仕事のシステムに入りこんだことになる。

 

次には署に連行されることになった。そこでまた長々とあるのだが、大使館に連絡するといわれて初めて主はあせった。国と国の案件になると、もう自分でコントロールできるなくなるからだ。おまけに新規にドイツ人になったばかりの自分を、大使館が守ってくれる保証はない。不適切な場所でドローンを飛ばして、懲役をくらったオランダ人のことなどが頭をよぎっただろう。

 

しかし署内には英語のできる幹部もいて、しだいに事態は好転してきた。最終的決着がどうなったかはわからないが、おとがめなしの放免ということになった。もちろんすべてのカメラやスマホの映像がチェックされて、無実のあかしとなったことはいうまでもない。イランの制度はわからないが、逮捕でなく拘束だったと思われる。逮捕状がでたらもっと面倒になったことだろう。

ここまで登場した役人たちが、正式には何のポリスかはよくわからない。町奉行寺社奉行や、風紀警察などの管轄問題もあるのかもしれない。知らない外国では、どこでもありうる話だ。

 

イランの事情はわかるしともかく自分はなんの恨みもないと、主はいつものように穏やかに話を締めくくっている。おそらくふだんの兄のように、最初からひとりでおとなしく映像を見せて待っていればもっと早く解決していただろう。

 

WORLD'S BEST TRAIN JOURNEY IN IRAN | S05 EP.14 |

主は夜行列車でマシュハドからテヘランまで進んだ。設備は豪華で、ビジネスクラスでも3000円だ。このエピソードで、主は日本にも行ったことがあると明かしている。

 

EXTREME IRAN FOOD TOUR IN TEHRAN | S05 EP.15 |

テヘランではマシュハドの友人も一緒で、さらに有名インスタグラマーも合流して食べ歩きをした。dizi と呼ばれる小壺料理や、目玉までおいしい羊全部乗せ専門店、クルドレストラン、山の手ダルバンドの豪華なコースなどグルメ番組のようだ。

 

The MISUNDERSTOOD City | S05 EP.16 |

ダルバンドの名物リフトに乗ろうとしたが、降雪で運航中止となった。ロゴまでそっくりなサムウェイで「テリアキ」サンドを食す。マシュハドでこりてスマホのみの撮影となり、画質が悪い。これまで当ブログのテヘラン記事では、同時期の現地民による高画質撮影を紹介している。昨年3月初の映像で、タジリッシュのバーザールではハフトスィーンの供え物がもう出回っている。

 

 

www.youtube.com

テヘランからシーラーズにもどり、国境のAbadanから50kmのBandar Mahshahr まで バイク行する。

シーラーズのホテル中庭は噴水のある小空間で、サファヴィー朝さながらだ。

 

 

www.youtube.com

イラン・イラク国境に午後1時に着いて、6時半まで手続きに費やされる。イラン側では1時間半そこから4時間で、最悪の越境となった。

ドイツ人と信じてもらえないことも大きかったようだ。ひとり手前にはオランダ人のホンダ乗りが通関を待っていたので、入境する外国人バイカーはいるのだろう。

その間、網友と連絡を取ってバスラにホテルを予約してもらった。100ドルのけっこうな部屋だった。これでアブラール兄のイラン紀行は終わる。

 

ドイツは部分的に二重国籍を認めているので主がそれにあたるのか、パーキスターン籍をすてたのかはわからない。8年以上暮らし、もろもろの条件をみたせばドイツ籍は取れる。主はドイツの大学を卒業し自動車会社で5年働いたので、十分条件はみたしているが新米ドイツ人でもある。

コロナ・ロックダウンを想定して妻子をパーキスターンに送ったのは、家族についてはこの要件をクリアできず不利な状況をおそれたからと推測する。オーストラリアでコロナ失業に会い、日本にやってきた印日カップルのことは以前紹介した。 

二重国籍だとしてもドイツ・パスポートで旅をしているのは、そのほうが有利だからだろう。ことにヨーロッパを通過するさい、パーキスターン人であるよりは。当時トルコ、イランも対独関係はわるくなかった。この先、またこれからの行先でどうなるかはわからない。