Eye Love You 좋아요

ジャージの若い僧侶が猛スピードで、誦経しながら坂道を自転車で降りていった。春風は人を感奮させる。 Eye Love You 第四話は、登場人物たちの言葉と心と出来事がほどよくすれちがっていって面白かった。 この胸キュンは作劇の巧みさか、単に体温が上昇した…

荷風マイナス・ゼロ (43)

北京市豊台区盧溝橋 昭和12年(1937) 7月4日、「姪光代没す。」次弟鷲津貞二郎の娘で、荷風は子供のころからかわいがっていた。 7月5日、「水天宮の賽日にてにぎやかなり。裏門外道路の上に癩病の乞食数人座するを見る。日本固有の生活状態なればひそかに携帯…

荷風マイナス・ゼロ (42)

左上三ノ輪浄閑寺 南吉原 東山谷泪橋 昭和12年(1937) 6月16日、夜家を出て北里におもむこうとするが電車がすでにない。円タクに乗る。京町一丁目品川屋に登って宿する。品川屋はむかし揚屋町にあった茶屋受けの店だったが今は並みの小格子となった。現在の場…

さよならマエストロ

芦田に笑顔がもどってくる回だった。まだ明かされていない細かいいきさつはありそうだが、根本的な事情はわかった。娘は父親の背中を追ってきたつもりだったのに、父のように内部から音楽が湧き出る人間ではなかった。ただヴァイオリンが上手くなっただけだ…

荷風マイナス・ゼロ (41)

吉原 1932年(歴史写真会「歴史写真(昭和7年8月号)」) 昭和12年(1937) 6月2日、薄暮銀座で飯、北里(吉原)に遊び彦太楼に登る。かつて九段上の妓街で見知った女が娼妓になったのに逢う。その女の話を聞くと芸妓から娼妓に転じた女がまだニ三人この家にい…

荷風マイナス・ゼロ (40)

曲馬団の「トッテンカン」(下村千秋 1928年) 下村には玉の井、亀戸の私娼窟をモデルにした天国の記録 (1930年)がある。 昭和12年(1937) 5月1日、「夜墨堤散歩。初めて言問の団子屋に憩う。セメント造にて一見共同便所の如し。長命寺さくら餅を売る店もまた…

大奥 Eye Love You

法事を抜け出し、町娘に姿を変えて縁日を歩く。暴れん坊御台所の世界観で、むかしむかしの東映時代劇を継承しているのか。髪型はどうやって直した黄八丈はどこで着替えたとか気になるようだと、ワンシーンで三回衣装を替えるインドミュージカルは楽しめない…

荷風マイナス・ゼロ (39)

濹東奇譚 木村荘八画 昭和12年(1937) 4月2日、「燈刻銀座にてW生に逢い共に濹東を歩みてかえる。」 4月3日、母危篤を伝えにきた弟威三郎を、居留守を使って帰す。 4月7日、洲崎に行った。大門外の掘割に沿って歩いた。空き地に捨てた塵埃をかきわけ物を拾う…

荷風マイナス・ゼロ (38)

荷風が愛用したローライフレックス・スタンダード 昭和12年(1937) 1月2日、浅草観音に詣でておみくじを引いた。境内には夜店がつらなり、活動館はどこも満員御礼の札をかかげていた。数年前のさびれかたとは似もつかぬ、好景気だった。銀座に行き喫茶店に入…

荷風マイナス・ゼロ (36)

12.12西安事件 昭和11年(1936) 12月3日、「燈刻渡辺夫妻(3P仲間)来る。共に富士見町に往きて飲む。夜半帰宅。」 12月7日、「午後土州橋の病院に往き、それより葛西橋に至る。写真撮影二三葉なり。境川停留場より五ノ橋通りにて電車を降り、三ノ輪行きのバ…

マエストロ 大奥

第四話は音楽場面に取りちがえの喜劇をまぶした、秀逸な回だった。心にやましいことがあると音が乱れるという妄言を信じて、セビリアの理髪師演奏中に指揮者が間男さがしをする。演奏者の顔をひとりひとりのぞきこみ、眼と心の声でコンタクトをとる。「浮気…

荷風マイナス・ゼロ (35)

日独防共協定調印 11月2日、「明日天皇陛下某所へ行幸の由、今夜玉の井の路地裏には隅々まで刑事入り込み随時女の家に来たりて客を取り調ぶるはずなり。陛下御外出の前夜は志士その他類似の凶漢玉の井亀戸吉原等に一泊し未明に立ち退くが例なればその夜は必…

荷風マイナス・ゼロ (34)

玉の井は現在の東向島5丁目あたり。空襲で消滅し、いまは痕跡もない。 昭和11年(1936) 9月7日、暑いので夜隅田公園を散歩した。芝生、腰掛、池のほとりなど所を選ばずほとんど裸体にひとしい不体裁な身なりの男が大の字なりに横臥しているのを見る。これは不…

荷風マイナス・ゼロ (33)

ベルリン・オリンピック 昭和11年(1936) 6月5日、「帰途杉野斎藤二氏及び女給満子と自動車に乗り霊南坂を登る。路傍の交番より巡査走り出で住所氏名を問い、満子女給たるをもって拘引せんとす。尋問十余分間しばらくにして逃るるを得たり。警吏の嫉妬恐るべ…

Eye Love You  大奥 マエストロ

さっそくエロがらみになってきたが、あくまでコメディーだ。二階堂の演技は場面ごとの効果でなく、話全体の中でキャラが一貫するように組み立てられている。何の事件もないドラマなのに、二階堂を見ているだけでおもしろい。 二階堂が人の心を読めるのは、ラ…

荷風マイナス・ゼロ (32)

Manishprabhune 亀戸天神藤棚 昭和11年(1936) 5月2日、銀座から亀戸に行き亀戸天神の藤棚を見る。浅草雷門に寄って仲見世を歩き、電車で帰る。 5月4日、京橋から浅草公園に行く。言問橋で休み、玉の井に寄り銀座に帰る。 5月11日、浅草の活動小屋の絵看板を…

荷風マイナス・ゼロ (31)

昭和11年(1936)4月16日に、荷風は乗合自動車で日本橋から砂町に行った。そこで葛西村行きに乗り換え終点の長島町(現在江戸川2丁目)に至った。さらに乗掛海岸(?)行きに乗り北に向かい終点まで行ったとある。この記録はあやしいところがあり、着いたのは…

荷風マイナス・ゼロ (30)

隅田川明治座近くの浜町公園あたりに、荷風の通った水練場があった。 荷風が東に向かったのは川の記憶があったからで、12才ころの夏は浜町に毎日通って泳いでいた。潮の干満にあわせ北は浅草、南は地図下に先端が見える佃島まで往復したと回想している。1879…

荷風マイナス・ゼロ (29)

隅田川と分水された荒川(当時の名称は単に放水路) 昭和11年(1936)ごろから荷風は、銀座に向かっていた足を東に延ばしていった。浅草墨東時代のはじまりだ。 理由はいくつか考えられるが、この時期に書いた放水路に当時の心境が示されている。 「四、五年来…

荷風マイナス・ゼロ (28)

1927年円本ブーム時代の荷風 麻布の洋館に住み毎日銀座で外食し4-5日にいちどは街娼を買う、荷風がそんな生活をできたのは資産家だったからだった。財産の半分ちかくは親から相続したもので、さらにそれ以上をおもに昭和はじめの円本ブームで得ていた。 荷風…

Eye Love You

二階堂ふみが出ているので見たのだが、おもしろいかだめなのかまだよくわからない。 プロミス・シンデレラとおなじく年の差恋愛で、そこは期待していた。話はまったくのファンタジーで北の海に飛びこんで遭難して以来、人の心が読めるようになってしまった設…

さよならマエストロ 大奥

今期のドラマ、さよならマエストロの第一回がおもしろかったのでつづけて見ている。変わり者の音楽家が廃止直前の楽団を再建するおきまりの話だが、西島秀俊の指揮者ぶりが楽しそうでいい。 かくれた主役が富士山で、やはりとにかく大きい。 パシフィック・…

荷風マイナス・ゼロ (27)

四つ木橋1932年 昭和11年(1936) 4月2日、銀座で古本市に寄ったあと放水路の景色が見たくなって、市電で南千住に行き京水自動車というのに乗り西新井橋に至った。堤防を歩くと堤の下に乗合自動車が走っているので見ると、北千住から川口に行く路線だった。し…

荷風マイナス・ゼロ (26)

2.26 部隊の動き wiki 昭和11年(1936) 2月1日、銀座喫茶店キュペルで、「隣席に二人の客あり。泥酔放歌傍人の迷惑を顧みず往々猥褻なる言語を発す。その去りたる後茶店の主人に問うに一人は内山幼稚園の教師、一人は三田魚籃寺の住職なりと云う。風教の退廃…

荷風マイナス・ゼロ (25)

戦前の田園調布 昭和11年(1936) 1月1日、「社殿の格子に石板摺りの選挙粛正の紙を貼りたり。殺風景もまた甚だし。」 1925年からの男子普通選挙法では選挙違反の厳しい罰則が定められていたが、政友会民政党の縁故買収などの不正は止まなかった。5.15事件で政…

荷風マイナス・ゼロ (24)

1925年表紙 1943年表紙 昭和10年(1935) 11月1日、「尾州熱田神社神殿落成祝賀のためなりとて銀行会社業を休む。明治以来未だかつて在らざることなり。」 11月3日、「ニ三日来花火の響き絶ゆる間もなし。昭和以来暗殺提灯行列祭礼など騒がしきことのみ流行す…

荷風マイナス・ゼロ (23)

「東京朝日新聞」1935年(昭和10年)7月20日の中央公論広告 陸軍トップといえる永田軍務局長の殺害は、軍部による政治支配確立の通過点となった。もとはといえば満州の関東軍は軍閥のような独立勢力となり、本国の政治を左右してきた。日露戦争で獲得した満…

荷風マイナス・ゼロ (22)

昭和10年(1935) 7月3日、東京市中の飲食店で店先にガラス棚をもうけ料理した飲食物を陳列し、一皿ごとに定価をつけるようになったのは大阪の洋食中華料理店からはじまった。三越やその他百貨店の食堂がこれに学び、いまや蕎麦屋汁粉屋までおよんだという。「…

荷風マイナス・ゼロ (21)

1935年ポスター 左が満州国、右が1928年までの中華民国国旗。 昭和10年(1935) 3月10日、「日露戦役紀年祭挙行の由。近隣の家人皆出払いて門巷かえって閑静なり。鶯終日啼く音を止めず。」大嫌いなラヂオもピアノも聞こえなかったのだろう。 「(新橋)芝口ガ…

荷風マイナス・ゼロ (20)

大音寺は南北にはしる昭和通り西側バス停前、一葉の駄菓子屋は茶屋町通りにあった。鷲神社の北隣が長国寺。 昭和9年(1934) 12月7日、「燈刻銀座に行く。二人の街娼に松屋の前にて袖ひかれしまま一丁目のオリンピックに入りて夕餉を食し、祝儀1円づつを與え、…