昭和15年(1940) 1月6日、去年十一月の末から今日までほとんど雨がない。新聞の記事を見ると水道水切れのおそれがあるという。木炭米穀の不足についで飲料水の欠乏をみる。天罰恐るべしである。・・牛肉ヒレ本年から一人前につき15銭値上がりしたという。 ・…
1939年11月、仏蘭西の塹壕でくつろぐ英仏兵士。宣戦布告したものの戦闘しなかったので、この時期 Drôle de guerre 奇妙な戦争と呼ばれた。 昭和14年(1939) 10月4日、「庭の高樹に始めて百舌の声をきく。例年なれば晩秋の旦百舌の声をきくは勇ましく快きもの…
南北にハルハ川、下の横線がホルステン川。何もない土地だ。ハルハ東岸の日本軍第23師団は、ホルステン南岸から縦に30kmにわたって高地に拠った陣地を築いて展開していた。 昭和14年(1939) 8月3日、「午後谷中氏浅草より電話にて、この頃警察署にて余および…
これまでオーケストラ団員の物語が語られるなか、芦田の心は少しづつ溶かされていった。今回、男への告白で挫折の詳細があきらかになった。 それは天上的な芸道の苦悩というよりは、アスリートのつまづきのようなものだ。 音楽家の子として愛情に包まれた環…
ノモンハン ロシアではハルキンゴル(ハルハ川)の戦い 昭和14年(1939) 5月3日、「新橋にて電車を乗り換えんとするとき去冬玉の井にて知りたる女に逢う。この春より芝口の処女林というカフェーにはたらき居ると云う。赤坂田町の貸間に姉と二人にて住むなりと…
百人斬り競争とその処刑の記事 昭和14年(1939) 1月1日、「(玉の井に行く)広小路に出るに東側に並びたる飲食店の中にて唯一軒店をあけたる家あり。常に円タク運転手を顧客とする店なるがごとし。定食朝20銭。夜30銭という張り紙を出したり。 ・・夜半十二時…
浅草羽子板市 昭和13年(1938) 11月4日、「思い返せば浅草公園の興行物に興味を覚えそめしは、去年の十一月初にて、早くも満一年とはなれるなり。今年三月のころよりはほとんど毎日のようにオペラ館楽屋に往きある時は散歩の疲れを踊り子の部屋に休めしことも…
1940年までの日本軍占領地域 昭和13年(1938) 8月1日、「夜オペラ館に至りカフェージャポンの女給いち子とともにかえる。・・いち子わが家に宿す。」 8月5日、「またいち子と田原町電車停留場にて偶然邂逅す。・・いち子また一泊す。」 8月6日、「数日前より…
劇団民藝 銀座、墨東、浅草、オペラ館とつづいてきた荷風の遍歴は、葛飾情話の上演をもって頂に達しそれ以降は滞留と戦争の進行にともなう窮迫の道をたどっていく。情話そのものは文学的達成というよりパトロンの道楽に近いものだったが、そこから映画製作へ…
永井智子は歴史小説家永井路子の母にあたる。このブログ記事によると、永井路子は母智子と荷風は遠い縁戚だと発言している。 昭和13年(1938) 5月1日、夕方オペラ館に行きソプラノ眞弓明子の部屋で葛飾情話台詞の稽古をする。幕間に明子輝子よし美とともに出…
今回は主要メンバーが四国高松まで行く設定だったので、室内楽でも演じるかと思ったらそうはならなかった。 生徒たちに演奏を教えるだけだったが、この顔ぶれが出てこないと物足りない。 當真あみが芦田姉弟と西島のアシストで上達したヴァイオリンの腕を父…
新内流し 昭和13年(1938) 3月5日、浅草オペラ館に行き楽屋と舞台を撮影した。・・木村時子の部屋に招かれて雑談に時をすごした。閉場間際に文芸部員淀橋小川の二氏俳優清水らとともに出てカフェージャポンで飲み、さらに牡蠣料理まるやという家に上がって一…
小芝の御台は妊娠してニコニコなのだが、裏では流産の薬とかお付きが裏切って新たな側室として登場とか宮廷ドラマらしくなってきた。しかしまだ韓国中国ドラマの洗練にはおよばない。 小芝はなんでもできるのだから 笑ったり 怒ったり 思いつめたり 空を飛ん…
中央 清水金一 右 堺駿二 シミキンの拳闘王(1947 松竹) 二人はオペラ館のスタアだった。 昭和13年(1938) 1月2日、11時すぎ浅草公園を過ぎるとき仲見世はじめ区役所通りの商店はまだ灯火を消していなかった。織るように人が行く。浅草広小路北側に並んだ屋台…
ジョン・ラーベ ナチ党員だったが南京で多くの市民の生命を救った。日本軍の暴虐を記録したラーベの日記をのこした。 12月1日、暮れがた例の如く浅草公園に行き中西屋で夕飯を食す。公園の飲食店の中では珈琲も15銭なので万事上等の方であろう。オペラ館あた…
芦田の髪形は流行りのシースルーバングだが ドラマ終盤でデコ出し(アップバング?)も見てみたい。 今回も快調だった。西田敏行の回で悪目立ちすると困ると思っていたけれども、ちゃんとパートを演じていた。ほんとうに体調がよくないのか?そのかわり満島…
オペラ館 10月4日、ある人の話ではかつて熱海のある旅館に共産党党員数名が宿泊していたのを、刑事ら大勢が捕縛に向かった。八月中のことだそうだが新聞には記載されなかった。党員はピストルを撃ったが弾丸が尽きてついに捕らえられた。一人の刑事が党員の…
NHKたけくらべ 昭和12年(1937) 9月4日、知人から手紙があり池袋の飲食店は出征兵士送別会で日夜多忙だという。 9月5日、銀座四丁目から地下鉄に乗る。乗客の中に一人の女がいた。旅館の男物貸し浴衣に細紐をしめ平然としてその夫らしき男と話をしていた。男…
初めての키스はつつましやかで、それはいいけれど二階堂がはっきりしないので話がはずまない。心の声でサランヘと聞こえたのだから、もう突っ走るしかないだろうに。 この話では超能力があまりうまく機能していなくて、設定をもてあましている。肝心のときに…
昭和12年(1937)8月11日に上海事変がはじまり日中全面戦争となったあと、中国駐屯軍が北支方面軍へと編成された。そのとき司令官となったのは、中学時代同級で荷風をいじめていた寺内寿一だった。その後昭和16年に南方軍総司令官となり、日本降伏後に病没して…
今回も安定して面白かった。大人になった芦田の演技が見たくて踏みこんだ沼だが、各団員の個性もうまく描けているのであきない。今回は津田寛治と新木優子の出番で、ヴェテランの津田はいうまでもないが新木が役にはまっていい女っぷりだ。玉山鉄二のロッシ…
アッパッパ 昭和12年(1937) 8月4日、「夕飯を喫し玉の井を歩む。この里よりも戦地に赴くものありと見え広小路の大通り提灯を提げて人を送るもの長き列をなしたり。」この月も吉原、玉の井、放水路、浅草、銀座の徘徊はつづく。 8月8日、「浅草に往き仲店裏今…
荷風が吉原で取材もかねたお大尽遊びをしているあいだに、日中の全面戦争は目の前までしのびよって来ていた。7.7事変盧溝橋の交戦はまだ小規模なものだった。どちらが先に手を出したとかは、いまでも論じられるが本質的問題ではない。1931年の満州事変とそれ…
ジャージの若い僧侶が猛スピードで、誦経しながら坂道を自転車で降りていった。春風は人を感奮させる。 Eye Love You 第四話は、登場人物たちの言葉と心と出来事がほどよくすれちがっていって面白かった。 この胸キュンは作劇の巧みさか、単に体温が上昇した…
北京市豊台区盧溝橋 昭和12年(1937) 7月4日、「姪光代没す。」次弟鷲津貞二郎の娘で、荷風は子供のころからかわいがっていた。 7月5日、「水天宮の賽日にてにぎやかなり。裏門外道路の上に癩病の乞食数人座するを見る。日本固有の生活状態なればひそかに携帯…
左上三ノ輪浄閑寺 南吉原 東山谷泪橋 昭和12年(1937) 6月16日、夜家を出て北里におもむこうとするが電車がすでにない。円タクに乗る。京町一丁目品川屋に登って宿する。品川屋はむかし揚屋町にあった茶屋受けの店だったが今は並みの小格子となった。現在の場…
芦田に笑顔がもどってくる回だった。まだ明かされていない細かいいきさつはありそうだが、根本的な事情はわかった。娘は父親の背中を追ってきたつもりだったのに、父のように内部から音楽が湧き出る人間ではなかった。ただヴァイオリンが上手くなっただけだ…
吉原 1932年(歴史写真会「歴史写真(昭和7年8月号)」) 昭和12年(1937) 6月2日、薄暮銀座で飯、北里(吉原)に遊び彦太楼に登る。かつて九段上の妓街で見知った女が娼妓になったのに逢う。その女の話を聞くと芸妓から娼妓に転じた女がまだニ三人この家にい…
曲馬団の「トッテンカン」(下村千秋 1928年) 下村には玉の井、亀戸の私娼窟をモデルにした天国の記録 (1930年)がある。 昭和12年(1937) 5月1日、「夜墨堤散歩。初めて言問の団子屋に憩う。セメント造にて一見共同便所の如し。長命寺さくら餅を売る店もまた…
法事を抜け出し、町娘に姿を変えて縁日を歩く。暴れん坊御台所の世界観で、むかしむかしの東映時代劇を継承しているのか。髪型はどうやって直した黄八丈はどこで着替えたとか気になるようだと、ワンシーンで三回衣装を替えるインドミュージカルは楽しめない…